2006年2月7日〜26日 竹本さんと二人で、インドの旅を敢行。インドは1989年以来 2度目の訪問になる。

前回は南インドを一巡したので、今回は中北部の観光名所と遺跡めぐりをした。

2月7-9日 コルカタ Fairlawn Hotel 1頁
2月10-11日 バナーラス Alka Hotel 2頁
2月12-13日 カジュラーホ Mable Palace 3頁
2月14-15日 アーグラ Shannti Lodge 4頁
2月16-17日 ジャイプール Madhuban Hotel 5頁
2月18日 ムンバイ YMCA Int.Centre 6頁
2月19日 アウランガーバード Printravel Hotel
2月20日 エローラ Printravel Hotel
2月21日 アジャンタ Printravel Hotel
2月22日 アウランガーバード MTDC Holiday Reasort 7頁
2月23-24日 ムンバイ YMCA Int.Centre
2月25日 クアラルンブール Grand Continental Hotel
2月7日(火) 関空発11時30分 マレーシア航空(MH51)でコルカタまで行く

蛍池発7:30のバスで関空へ行き、竹本さんと落ち合う。保険加入とドルの両替を済ませて11時半出発。途中コタキナバルで1時間の休憩があって、19:45クアラルンブールへ到着する。現代的な大きな飛行場で、案内板は英語、中国語に加えて日本語表示になっている。
MH182に乗り換えて、21:50発 コルカタ23:15着。時差はマイナス3時間半。

ホテルで送迎タクシーを頼んでおいたので、そのままサダル・ストリートのフェアローン・ホテルへ直行する。真夜中とはいえ、街があまりに静かなのでちょっとおどろいた。
ホテルに着くと、送迎代Rs500の約束なのに空港駐車料金として別にRs100もとられた。疲れて文句いう元気もない。
2月8日(水) コルカタ滞在。  ニューマーケット / インド博物館
よく眠って気分爽快。ホテルの朝食は完璧なコンチネンタルスタイルで、コーンフレークもパンもおいしくて、すこぶる満足。フェアローン・ホテルは植民地時代の雰囲気を残す変わったホテルだった。イギリス人のマダムが経営していて、毎朝玄関口で挨拶をしてくれる。宿泊客は欧米人ばかり。
朝食中 偶然にも仙台から来た一人旅の女の人と一緒になった。詳しい事は知らないが、カルカッタの絵描きを訪ねてきたらしい。
ホテルの玄関 部屋の中 レストラン
コルカタは西ベンガル州の州都。現在の人口約1321万人。1690年イギリス東インド会社がここに拠点を置いた時は小さな漁村だったとか。
その後1911年まで植民地インドの首都として栄えて、独立後も産業、商業、輸送のみならず、文化活動、政治活動の中心地として発展してきた。
他に類をみない整然とした混沌、圧倒的なエネルギーの坩堝を目の当たりにして、前回の訪問の時はどきもを抜かれた。
カルカッタのイメージが強いので、コルカタと言う名前はどうもしっくりこない。
まずはニューマーケットを覗いてみる事にする。早朝なので衣料店街はまだ閉まっていて、食料品店街が活気づいてた。
ニューマーケット外観 街頭のさとうきびジュース屋。絞って絞って絞りまくる 市場の中のチャイ屋
スナック菓子屋。注文に応じて油で揚げる マーケットの大通り 街頭のサンダル売り
米屋。米の種類がこんなに多いとは! 果物屋。手前はほおずき。後はぶどう、みかん 鳥屋。みんな自宅で絞めるらしい
チョウロンギ通りに出て、インド博物館に行く。1階の石像が充実していて、興味深かった。
トイレがどうしても見つからなくて、ホテルに戻り(ほんの2分)改めて昼食を食べに出かける
ホテルの横の道をニューマーケットに向かって左側、レストラン・カルサでナンとカレーとチャイ。
よくはやってる店で、安くておいしくて、思わず感激した。 
直ぐ近くの衣料品専門のマーケットを歩き回る。
竹本さんはストーン刺繍満載の正装用パンジャビスーツを買う。私は小花模様のサリーを1枚買った(380Rs)。
ホテルで一眠りした後、フリースクール・ストリートにあるベンガル料理店Princeに行く。
良いレストランだったが、食欲がなく、プディングとペプシでお茶をにごした。
ホテルのレストランでビールが飲めるのを発見。大いなる喜び。

部屋には立派なバスタブがついているのだが、お湯の出が心もとなくて、かろうじて腰湯程度であきらめた。

インド博物館の中庭
2月9日(木) コルカタ観光。 カーリー・テンプル / タゴール・ハウス  20時35分 ハウラー駅よりバナーラシーへ夜行列車に乗る。
昨日と同じく、仙台の人とおしゃべりをしながら、ゆっくり朝食をとって、10時、チェックアウト。
博物館の前から地下鉄に乗って カーリー・テンプル へ行く。
博物館横のサダル・ストリートはちょっとした貧民窟化している。かつてもそうだったけど、あの清潔感が無くなって、自堕落な汚さが目立って、わびしい。
カーリー女神寺院の門前町はみやげ物から神の像、礼拝用品まで、いろんな物を売っていておもしろく、いちいち覗きながら歩く。人力車(リキシャー)がいっぱい居た。
寺院の入り口でガイドにつかまってしまった。靴を預けては裸足で寺院をまわる。寺院の中は熱心な信者でごったがえし、大変な熱気だ。無理やりカーリー女神の黒い石を拝まされて、沐浴場で法外なお布施をとられた。その巧みな誘導に開いた口がしまらない感じ。ヤギの生贄場面には出会わなかったが、いやはやまったく・・・
インド博物館横の光景
門前の店。カーリー女神の御絵を売っている カーリー・テンプルの礼拝堂 沐浴場
気を取り直して タゴール・ハウス を訪ねることにする。地下鉄で Girish Park まで行き、地球の歩き方に載っている地図を片手に、道を尋ねながらうろうろ歩き回る。
ここは、コルカタのオフィス街といわれるダルハウジー広場の北、ハウラー橋のすぐ東側で植民地時代の中心地だった場所のはずだが、もう、その零落ぶりは目を覆うばかり。
かつてのきらびやかな建物が、改築もされなずくずれかかって荒れ果てて、そのまま使われている様は悲惨だった。
訪ね当てたタゴール・ハウスはロビンドロ・バロティ大学構内にあり、ここは別世界だったが、休みだった。 そう、今日はヒンズー教の大祭日だったのだ。
植民地時代の富豪の屋敷 マーブル・パレス も、歩いて行ってみたが、ここも閉まっていた。残念。
崩壊寸前の現役建物
客待ちのリキシャー 植民地時代の色濃い町並み
一旦 Park Street へ戻り、モイダン公園を歩いてみる。
休日とあって、あっちでもこっちでも、クリケットの試合をしている。子供も大人も。
クリケットって見ていてもさっぱり分からない、変なスポーツだ。
それにしても、この公園の荒廃ぶりもひどい。雑草だらけのでこぼこした広場は散歩を楽しむ人もいない。本当にコルカタは時代に取り残されて、衰退の一途をたどっているとしか思えない。エネルギーが感じられない。単なる汚くて荒れ果てた町になってしまったと実感した。
昼食は昨日のベンガル家庭料理店 Prince で、魚の蒸焼きとチャパティとベジタブルスープを食べる。最高においしかった。 3時頃 ホテルの荷物を受け取りがてら、1階の仙台の人を訪ねておしゃべりをする。
ロビンドロ・バロティ大学構内
4時 タクシーでハウラー駅にむかう。ハウラー橋のうえは気が抜けるぐらい静かで、スムーズな車の流れだった。駅に着いて、列車の発車ホームを確かめてから、リタイアリング・ルームを探し回る。
やっとのことで、8番ホームにある予約コーナーに行き着いたと思ったら、満室だと言われてガックリ

でもすぐに空きが出たと知らせてくれて、7時半までベットでゴロゴロしてた。居心地の良い部屋で気分最高。夕食はカフェで買ったホットサンドを汽車の中で食べた。インドのホットサンドは香辛料が強くなくておいしい。
20時35分発デリー行き特急の夜行列車は快適だった。A/C2段寝台は空調も適度で、ベッドも清潔だったし、あまり混んでなかったし、快適な眠りのうちに夜が明けた。
ハウラー駅構内
つ づく