2013年3月15日~25日  トルコ周遊旅行
3月15日(金) 関空23:20発  トルコ航空(TKー047)  16日(土)5:30 イスタンブール着
3月16日(土)  イスタンブール ⇒ ダータネル海峡 ⇒ トロイ遺跡 ⇒ アイワルク

13時間のフライトのすえ、5:30頃イスタンブール アタチュルク空港に到着。入国手続きを済ませて、バハルさんという20代の美人ガイドさんと対面する。
ツアーの同伴者はナシという事で私たち二人だけでマイクロバスに乗り込む。もうしわけないみたい。

イスタンブールは昨日雪が降って、今日は雨降り、すごく寒い。
雨の中をマルマラ海沿いに走って、 7:30 テキルダーという街で休憩。 9:30 団体専用みたいな大層なレストランでランチとなる。大広間にちんまり二人で座っていたら
飛行機で一緒だった団体さんが入ってきた。この人たちとは後日いろんな処で御一緒することなる。

11:00 ヨーロッパ側の南端、ゲリボルからフェリーに乗って
ダータネル海峡を渡り、アジア側の町ラプセキへ行く。雨が降り寒いので船室に入る。中はお弁当をひろげている中年グループ、子供連れの夫婦、若者たち、で賑わっていた。
ダータネル海峡は本当に狭くて、両側に半島が見える中、20分くらいで着いてしまった。

バスはチャナッカレの町を通過して、右手にエーゲ海を見ながら 肥沃な大地を走る。イチジクやアンズの木が目をひいた。

12:10 トロイの遺跡のある ヒサルクの丘に到着。

この地に集落ができはじめたのは紀元前3000年頃という。
それ以降5世紀末まで3500年もの間、トロイはエーゲ海交易の中心地として9回も滅びては建設され続けた。ここはその遺跡が重層的に見られる貴重な場所である。
ホメロスで語られるトロイ戦争は長らく伝説とされてきたが、1873年ドイツ人シュリーマンが発掘した遺跡遺構によって初めて実証された(トロイ戦争は第6市時代(BC1700~1275)の事と云われている)。

本当にあいにくの雨だ。丘の上から遠方に海が見える。
トロイは元来エーゲ海の港街だったのが川砂の堆積で埋まり、いまは海まで5キロもある。貴重な石を使った第8市時代のアテナイ神殿跡、第1市時代のメガロン(館)、シュリーマンが発掘した南北方向のトレンチ(溝)、2~8市の遺跡が地層のように重なった城壁、第6市の宮殿、第9市ボウルテリオン(会議場)etc 、1時間かけて歩き回る。
日本語の説明がありがたい!贅沢気分である。

001    

トロイ遺跡 Ⅵ市城壁の塔

  Ⅱ~Ⅷ市の遺跡が地層のように重なった城壁  
   
Ⅱ市の南北方向の溝とシュリーマンが発掘した区画  

トロイ遺跡 Ⅵ市宮殿跡

 
           

13:00 出発。1時間ほど走り、エーゲ海のほとり、広大なオリーブ畑の丘が連なるキチュクユの町で休憩。 オリーブがおいしい。

15:40 アイワルク グランド・テミゼル・ホテルに到着。 3階の部屋から夕焼け空とエーゲ海を眺めて御満悦。
夕食はバイキング。ビベル・ドルマス(ピーマンの肉詰め)、白インゲンの煮込み等、野菜料理を中心においしく食べる。それにしてもお茶、コーヒーは別料金とは不思議な風習だ。

3月17日(日)  アイワルク ⇒ セルチュク(エフェソス) ⇒ パレッカム
                     

5:00起床。時差ボケか、スッキリ目がさめてしまったので二人で散歩に出かける。 外は真っ暗。
ホテルの横の湖に沿って歩く。ここは塩湖で、大きな製塩工場がありここでトルコの80%の塩をまかなっているそうだ。沿岸の町の灯が美しい。昨日の疲れがとれる気がして気分がすっきりした。
朝食後、庭続きに広がる砂浜を散歩した。エーゲ海はあくまでも静かで 朝日がまぶしかった。

8:00出発。エフエソスまで250km、約4時間の行程だ。
途中 休憩した茶店の店頭で、ざくろをしぼって生ジュースを売っていた。なんともおいしくて、これは癖になりそう!

11:00 エフェソス遺跡到着。お天気の良い日曜日とあって大勢の観光客でにぎわっている

   
エフェソスはBC11ギリシャ人によって作られ、交易の町として栄えた。
BC6 ペルシアの属州になるもアレクサンドロスが解放、ローマ時代にはアジア州都として繁栄した。
しかしAD3-4頃には侵略、疫病、港の埋没等により病弊したという。
   

53年に聖パウロが布教のため訪れ、聖ヨハネ、聖母マリアが晩年を過ごした場所だとされ、キリスト教の聖地でもある。

  アイワルク エーゲ海の浜辺  

南入口を入るとまずヴァリウスの浴場が右側に見える。2世紀に造られた典型的ローマ浴場で、床下暖房式だそうだ。右側は上のアゴラとよばれる建物跡で、通りの傍らにバシリカの列柱跡が並ぶ。高いイオニア式石柱が2本立っていて思わず感激してしまった。続いてオディオンへ行く。ここは300人の代表者会議やコンサートに利用された屋根付きの小劇場だ。上に上ると遠く平野を流れる川が見えるが海は見えない。隣は市公会堂。数本の柱が残るだけだがかつては絶えることなく聖火が灯されていたという。
至る所、猫がのんびり日向ぼっこをしていて可愛い。柱頭の上で観光客を無視して座り込んでいる。

ヘラクレスが浮彫された左右対の門がクレテス通りの端にある。本来は2階建ての凱旋門で、この柱はアーチの上に立つ6本の柱のうちの2本だとか。道端に置いてある勝利の女神ニケのレリーフはこの門のアーチとして飾られていたものだが、とても美しい。

通りの右側にトラヤヌスの泉、ハドリアヌス神殿がある。トラヤヌスの泉は102-4年に建造されトラヤヌス帝に捧げられた貯水池。三角形のファサードと台座にのった皇帝像の足のみが残っている。ハドリアヌス神殿はハドリアヌス帝に捧げられた神殿で、正面玄関の装飾が美しい。奥の門には両手を広げたメドウーサ、左右の小壁にはエフェソスの起源伝説、皇帝テオドシウス等が浮彫されている。ただし本物はセルチュク考古学博物館にあり、これはコピー(コピーで十分です)。

小道を入ったところに公衆トイレがある。ローマ時代、トイレも社交の場だったのか・・??と思わせる造りだ。

クレテス通りの左側は丘の上の住宅と呼ばれる上流階級の高級住宅街。囲いで覆われていて入場するのに別料金がいる。住宅内のモザイクとフレスコ画が見事だというが、時間切れで見れなかった。住宅前の道路上のモザイク模様を見ただけ。残念だった。

 
     
  クレテス通りとヴァリウスの浴場               オディオン(屋根付き小劇場)   勝利の女神ニケのレリーフ  
       
 

ケルスス図書館に続くクレテス通り        

  トラヤヌスの泉   丘の上の住宅前のモザイク道路  
   
  ケルスス図書館  右手はマゼウスとトリダテスの門 野外劇場からアルカディーアネ通りを望む  

クレテス通りの突き当りがケルスス図書館。
2世紀半ば頃、アジア州総督ケルススを記念して息子が建てたものだそうだ。前門はコリント式柱頭を持つ2層式の円柱が装麗で印象的。正面に知恵、運命、学問、美徳を象徴する女性像(コピーですが)が立ち、周囲に彫られたレリーフも美しい。内部は平屋で12,000巻の書物が所蔵されていたという。
横に立つマゼウスとミトリダデスの門がバランスよく景色をまとめているのも良い。

ケルスス図書館から北へマーブル通りが伸びる。左側は下のアゴラ。辻の横にある娼館の案内版(広告?)が興味深い。
右側は野外劇場。1-2世紀にピオンの丘に造られた24,000人収容の大劇場で、全市民参加の会議や演劇に使われたという。
観客席は直径154m高さ38mの半円形で、向かい側は劇場体育館になっている。下から最上階まで登ってみる。予想以上に高度感がある。
港と大劇場を結んだ大理石の大通り、アルカディーアネ通りが真っ直ぐ伸びている。当時は両側に列柱が並び商店が軒を連ねていて、夜になると列柱に灯火がともされたそうだ。
今はもう遠すぎて海は見えない。

 

昨日、今日とローマ時代の遺跡を堪能した。ベルガマの遺跡も見たかったけど、文句を言っては罰が当たる。
ランチはトマトスープ、チョップシシのサフランライス添え、プリン、みんなおいしくて満足です。

エーゲ海ともこれでお別れ。バスはエフェソスからパムッカレへと内陸部を走る。
のどかな田園風景の中、遠くの山の頂は雪に覆われてまだまだ寒そう。

パムッカレ近くになったら遠くに石灰岩の白い丘が見えてきた。異様な景色 明日の観光が楽しみになる。
 16:30 パムッカレ リッチモンドサーマルホテルに到着。

部屋に落ち着く間もなく、さっそく温水プールに行く。地下にあるプールはかなり年期のはいった建物で、ガラス張りの屋根と太い石の柱が印象的だった。入口でバスタオルを借りて水着に着替えて、恐る恐る温泉に入る。
ぬるめのお湯は気持ちいい。中央に石の台座が鎮座しているのがいかにもトルコ的だった。

   
                ホテルの温泉プール  
3月18日(月)  パムッカレ・ヒエラポリス観光 ⇒ コンヤ  
 

今日も上天気。遠方の白い峰が朝日に輝いている。
朝食後 庭に出てみる。ダウンを着ているが寒い。
西側に緑の畑が一面に広がり、その向こうに集落が横に伸びている。
谷の向こうに白い頂の山脈が朝日を受けて輝く、絶景だ

8:00 ヒエラポリス入口に到着。

ヒエラポリスとは聖なる都の意味で、BC190年ベルガモン王の建てた都市の遺構だ。ローマ、ビザンチン時代まで繁栄は続いたがセルジュク朝によって滅ぼされる。その間何回も地震で壊滅的破壊をこうむっている。トルコは地震が多いのか、トロイの歴史もそうだったと思い返す。
2.3世紀が町の最盛期で、現在遺構が残っている大浴場や劇場、神殿などが建てられ、ローマ皇帝、貴族、裕福層が温泉保養に訪れたという。

 
                    ホテルの庭から望むパムッカレの村

南ビザンツ門をくぐって史跡の点在する草原を歩く。時は春、青い空の下、赤白黄色紫の花が咲き乱れ爽快な気分、もう遺跡なんてどうでもよくなる。

 

期待の石灰棚到着。史跡の広がる台地の南斜面が石灰岩に覆われ、パムック・カレ(綿の城)と呼ばれている場所だ。
石灰分を多量に含む湧き水が台地から流れ出て、沈殿し凝固した石灰華岩が斜面を覆いつくし、さらに積もっていくつもの棚を形成した。段々畑のような棚のプールは100以上もあるという。夏にはプールに水がたまって青く幻想的に美しいらしいが、今は空っぽ、ま、それでも美しかった。
一部、観光のため温泉水を流して中を歩けるように作ってあった。さっそく裸足になって水の中を歩く。
足が温かくて気持ちいいけど、石灰岩はあまり歩きやすいものではない、少しだけで十分だった。

ヒエラポリス博物館の横を通って、パムッカレ温泉にむかう。
古代都市の道路の上に貯まった温泉水をそのまま利用した温水プールは水底にローマ時代の敷石や柱がゴロゴロころがっている。
遺跡の上で泳いでいるロマンティックな光景は写真やパンフレットでよくみかけるが、水温は35度という。
さすがこの寒い時期に泳ぐ人はいない。 単なる石柱が沈んだ池ではあったが、温泉とは思えない透明な水の中は趣のある美しさだった。

 
       
  ヒエラポリス遺跡                        
       
  パムッカレの石灰棚               裸足になって石灰棚を歩く   遺跡の沈むパムッカレ温泉  

バスは一路コンヤへと走る。 コンヤまで410km、約4時間。
バスの右側に白い山を見ながらうららかな平原を走る。ここいらは綿の生産地で、けしやたばこもつくるそうだ。
10:45 エイルディル湖という炭酸を取る湖を通過して、トイレ休憩。ハルさんのお勧めで“ヨーグルトのハチミツ掛け、ケシの実のせ”を食べる・・・・・おいしいけど甘味壮大。

峠を越えると風景が一変した。小麦畑が延々とつづく広大な農地。他に何もない。集落は山の下に少しだけ、ひっそりと佇んでいる。
畑で女のひとばかり集団で働いている光景を見かけた。

昼食は オクラのスープ、白いんげんのサラダ、トルコ式ピザ 何もかもおいしくいただく。

 

15:30頃、コンヤ市の手前に新しいマンション群が続々と現れた。
西アナトリアの内陸平原に位置するコンヤは、トルコ最大の面積を持つ県都。町自体は先史時代からの歴史を持つが、1077年ルーム・セルジューク朝がコンヤを首都としてから著しく発展し、文化、交易の中心地として繁栄した。

ここはイスラム神秘主義のメヴレヴィ教団発生の地でもあり、トルコの中でも一番宗教色の濃い町だという。町を行く女の人は黒い服のひとが多く、皆スカーフで髪を包んでいる。

まずは公園のほとりに建つインジェ・ミナーレ博物館にいく。
13世紀に建てられた神学校で、現在はセルジュク・オスマンの博物館になっている。
正面玄関を埋め尽くす幾何学文様の浮彫りとミナーレの壁面彫刻が美しく、セルジューク様式の建築物の代表作とされている。

 
  インジェ・ミナーレ博物館   美しいミナーレ            
       
  メヴラーナ博物館   聖人の棺が置かれた部屋(撮影禁止なので本から)       セマを踊る蝋人形    
 

続いてメヴラーナ博物館に行く。
ここはセマ(扇舞の儀式)で知られるイスラム神秘主義のメヴレヴィ教団を創設したメヴラーナ(導師)・ルーミの霊廟であり、敷地内にはジャーミイ、僧院、修業場もある。一段と目をひく緑色のタイルでおおわれた円錐形の塔は13世紀に造られた霊廟で、現在は博物館になっている。
靴の上からカバーを履いて入口をくぐると、大きな碑文が壁一面に掲げられている。「あなたが外から見えるのと同じようになるか、内側と同じように見えるようになるか、どちらかになりなさい」「私のもとへ来なさい。あなたどのような人でも来るのです。あなたが無神論者でも偶像崇拝者でも拝火教信者でもかまわないから来るのです」etcと書いてあるらしい。
正面の部屋には聖人の棺が並び金刺繍のカバーがかけられている。隣の部屋の中央にムハマンドのあごひげを入れた象嵌の箱が置いてあった。
別棟では修道僧の生活が室内装飾と蝋人形で表現してあり、セマに使われる楽器の展示も興味深かった。

見学を終えてリクソス・コンヤ・ホテルへ直行。17:00着。
郊外に建つ25階建てのモダンな5ツ星ホテルだ。セマを踊る僧の装飾のある回転ドアーがおもしろい。
ロビーの壁には沢山の絵画が飾られていた。はじめて観るトルコ・モダンアート・・・・・でした。

 
3月19日(火)  コンヤ ⇒ スルタン・キャラバンサライ ⇒ カッパドキア  

6:00までよく寝た。
8:00出発。今日はカッパドキアへ230km、約3時間半の移動だ。暑からず寒からず、天気が良いのがうれしい。
標高1000m以上あるコンヤ平原を走る。ここは富士山に似たハサン山(3268m)の噴火でできた大平原で、トルコ随一の小麦生産地である。
アクサライ(1200m)を過ぎるともう小麦はできなくなって、じゃがいも畑になるそうだ。ゆるやかな起伏の大地が続き他に何もない、ついつい眠くなる。

 

9:10スルタンハンという町にあるキャラバンサライ(ペルシャ語で隊商宿の意味)
に行く。

トルコはシルクロードの西の果てに位置している。古くから絹、香辛料等の交易が盛んで、キャラバンサライはラクダの1日の行程20-30kmを目安に各地に作られた国営宿泊施設である。

高価な商品を盗賊から守る為に堅固な門と高い塀を持ち、
誰でも三日間は無料で滞在が許されたと云う。
サライの周りには市が立ち、町が形成されてにぎわった。
セルジュクトルコの時代、カイセリからコンヤを経て地中海に至る街道筋にいくつものサライが建てられ、現在でも40か所くらいが残存するらしい。

その中でもスルタンハン・キャラバンサライは1228年に建てられた、
保存状態のいいサライで、装飾の石細工も細かく見事である。

正面広場では犬が数匹昼寝中、のんびりした雰囲気だ。

上に鍾乳石飾りを持つ美しい門を通り、中庭に出る。
中央に真四角な水場が立ち両側に回廊と部屋が並んでいる。
左側はラクダやロバの休み所、右側は台所、浴室、居住室。
正面奥はアラブ式の大きな列柱ホールの宿泊室で、高いドーム天井になっている。
水場は二階建てで上は礼拝用の小堂、階段を上って上から眺めてみた。周囲はコンヤ大平原である。

     
  キャラバンサライ全景   中庭  
     
  中庭右側の回廊   水場の礼拝堂  

 広場の横にある茶店でお茶休憩。店頭にナスレッディン・ホジャの小話集が各国語に訳されて置いてあったので一冊買った。
 ナスレッディン・ホジャは1208年中央アナトリアに生まれたイスラム教裁判官である。
 哲学者で、ユーモアセンスに富んだ賢者として知られている。日本の一休さんみたいな存在。
 彼のユーモアあふれる小話、説話はトルコ中で語り継がれ、アラビア、アフリカ、インド。中国まで広がっているそうだ。
 町中にロバに後ろ向きに乗るホジャの像が建っていて目を引くが、これは有名な小話「ある時ナスティンホジャがロバの背中に後ろ向けに乗っ ていました。男が“ホジャ、あなたはロバに後ろ向きに乗っていますよ”と注意すると、ホジャは”いやいや、私は後ろ向きに乗っているのではあ りません。ロバが後ろを向いているだけなのです“と言いました」からきているそうだ。 
 なんともトルコ人ってのはユーモアまでもが複雑。深淵なのかひねくれてのか、理解がむずかしい。

 
 ナスレッディン・ホジャの像  

11:10 アクサライの町を通ってカッパドキア、ネヴシェヒルの町に到着。 山容が急にごつごつした岩山になり、たくさんの洞窟穴が開いた集落が見え始めた。

11:30 カイマルクの地下都市を観光。
カッパドキアにはいくつもの地下都市が点在するが、カイマルクの地下都市は規模が大きくて、2万人の人が住んでいたと言う。
初期キリスト教時代からビザンチン時代へとだんだん地層深く掘り下げていき、深さ55m、地下8層、アリの巣のような迷路都市になっている。
教会、学校、ホール、居室、台所、食糧倉庫、家畜小屋などが狭いトンネルと階段で繋がっていて、充実した共同生活の様子がうかがえる。
外部への通気口とか、外部からの侵入者を防ぐ大きな石の回転扉とか、興味がつきない。

しかしまあ、観光客の多い事すごい!大きな団体さんとぶつかってしまい、行列しながら薄暗いトンネルを歩いたので息が詰まる。観終わってほっとした。

近くの洞窟レストランで昼食。メインは川マスの丸ごとソテー。お客は私たち二人だけ。カッパドキアはワインが有名だけど遠慮して、ぶどうジュースを飲んだ。 おいしかった。

 
       
                            カイマルクの地下都市              

パシャバー地区ゼルベの谷へ行く。

広場に降り立つといきなりキノコ岩が乱立している。奇岩をじっくり楽しむ絶好の場所だ。玄武岩の帽子がまるでシメジみたい。自然の風化で岩がこんな形になるとは本当に驚く。
ここは3本のキノコ岩で有名だ。キノコ岩は妖精が住んでいるといわれ、地元では妖精の煙突と呼ばれているとか(ファンタジック!)。
また、ここに修道僧が住んでいたことから修道士の谷とも言われている。3本のキノコ岩も教会だったらしく、入口に十字架が彫られ、フレスコ画の色跡が見える。

広場からまずは左側の聖シメオンが隠遁した教会跡に上っていく。なんと丹念に洞窟を掘ったものか!!!
教会の中には入れなかったので広場にもどり、右手の丘に登る。丘の上から眺める風景も圧巻。。反対側の谷にも降りてみた。

 
 
  ゼルヴェの谷・広場 ゼルヴェの谷・聖シメオンの教会  
 
  ゼルヴェの谷・キノコ岩 ゼルヴェの谷・反対側の谷  

ゼルヴェの谷に入り、ラクダ岩の横を通って、ローズバレーへ行く。ラクダ岩は遠くから見ても近くで見ても、まるで彫刻作品のようにラクダそっくりだった。

15:00 ローズバレーの日没鑑賞ポイント着。ローズ色の岩壁が広がっている。、ここから眺める夕景は絶景スポットとして人気が高いそうだ。
今日は曇り空で夕日は望むべくもないが、地平線まで続くカッパドキアの岩山は素晴らしい景観だった。

駐車場から遊歩道が伸びているのでボズ山に向かってかなり上まで登ってみた。
この一帯だけ不思議なほどピンクの岩が連なっている。うねるような桃色奇岩を眺めながらさらさらの砂道を歩いて、気分最高。
駐車場にもどって、一人屋台を出してるおじさんから苺のドライフルーツを買う。安くて抜群においしかった。

 
 
 

ローズバレーのピンク色の岩

  ローズバレー全景    

15:40 ギョレメ野外博物館へ行く 。

ここギョレメ谷には30以上の岩窟教会がある。5-12世紀に造られたものだそうだ。
11-12世紀イスラムの迫害をのがれ定住したキリスト教徒は内部をフレスコ画で飾った。目立たないように作られた外観と対照的なあでやかな壁画が意表をつく。

 
ギョレメ野外博物館では保存状態の良い教会を見て回る。
入口を入って最初に聖バジル教会が目を引く。大きな岩に無数のドアや窓が開いている姿は貫禄があるが、中には入れなかった。
広場を上ってリンゴの教会に行く。4本の柱に支えられたドームと排廊をもち、色鮮やかなフレスコ画が美しい。中央ドームにはイエスの生涯、アーチには使徒等が描かれている。
すぐ横の聖バルバラ教会は十字型の本堂で、聖バルバラが描かれている。赤土を使った簡素な壁画で単純な幾何学文様が美しい。
裏手にある蛇の教会は筒型天井になっていて蛇(龍)を退治する聖ゲオルギウスと聖テオドロスが素朴な力強さで描かれている。

広場の反対側にある高い階段を上って岩窟の食堂と暗闇の教会へ行く。教会は採光が悪く真っ暗だったが、入口の幾何学文様だけはきれいに見えた。

時間がなくて、ギョレメ最大の教会、ビザンチン美術の傑作といわれるトカル・キリセが見れなかったのは本当に残念だった。 これがツアーの辛いところです・・・・
 
リンゴの教会((撮影禁止だったので、本から写真をひろった)  
 
聖バルバラ教会 蛇の教会  
 

 

ツアーの予定に入っていた皮革店とトルコ石の店の立寄りを断ったので、代わりにアヴァノスの近くの陶器工房へ行くことにする。
足で器用にろくろを回転させて壺を作る技、細かい絵付けの技を見せてもらい、最高級の絵皿も鑑賞して、お買いものコーナーへ移動。
ピッタリお兄さんが横について離れない。その商売根性 恐るべし、中々にして手ごわい。

   
 

 

   
    足ろくろの実演   絵付け   彩色    
   

17:30ホテル着。今日の宿はギョレメの町外れにある高級な洞窟ホテル”ギョレメ・カヤ“。
クラシックな内装のこじんまりしたホテルで、さすが他のツアー客とは一緒にならなかった。

食堂もこじんまりと家庭的な空間で落ち着い多雰囲気。カッパドキアの赤ワインを飲んだら、とてもおいしいワインだった。

今日はよく歩いたので眠い。

   
 

3月20日(水)  カッパドキア・ギョレメ ⇒ カイセイ ⇒ イスタンブール

   
 


5:30起床。明け始めた朝の光に誘われて散歩に出る。
町と反対方向、右方向に小道が丘へと上がっているので行ってみる。
どうやらウチヒサルへ行く村人のための道らしい。

朝日に輝くキノコ岩の間を通り、果樹園の集落を通り、
岩窟住居のある崖の横の道を上る。
空に空中散歩の気球が上がり始めた。
丘の上に小屋が見えるので急坂をよじ登って行ってみたら、
そこはギョレメ・パノラマポイントの茶店だった。

眼前にギョレメの町を一望に収める絶景。
気球が次々と空中にただよい、楽しい眺めだ。
ウチヒサルはすぐ近く西側の丘続きだった。
さっき通った集落と杏子林が真下に見える。

ゆっくり景観を楽しみ、気球が降下したので同じ道を通ってホテルに帰った。


朝食後、町に行ってみる。
ギョレメの町はカッパドキア観光の拠点となる中心地だ。奇岩群の中にある町にはプチホテルや洞窟ホテルが所狭しと並んでいる。朝早いので店はまだ開いていないが、喫茶店の野外席にはおじさんたちがたむろして談笑していた。

     
    丘の上の茶店 崖に入口がいくつも見える   あんず畑と奇岩群    
       
      気球が上がり始めた   キョレメの街を一望に    
  9:30出発。まずは絨毯屋さんへ行く。
織工さんたちが手織り作業をしている広間を見学、次に繭から絹糸をつむぐ行程、染色の天然材料をみて、ショッピング・コーナーへ誘われる。
シルクやウールの美しい絨毯を見せてもらう。
トルコの絨毯はダブル・ノットの手結びが特徴で、シングル・ノットより数段の耐久性があるそうだ。
   
       
  ギョレメの町の洞窟ホテル群 絨毯を織る お湯から繭を救い上げて糸口をつける     トルコ名物 伸びるアイス    
 

10:30 ウチヒサールに行く。“とがった砦”という名前をもつ巨大な一枚岩を中心に、幾つもの岩山が集まって堅固な砦のような趣である。
大小様々な戸口や窓のついた岩山はつい最近まで住居として使われていたが、地震のため撤去をよぎなくされたという。
岩の表面にいっぱい小さな穴があいていている。これは鳩の家と呼ばれる鳩の巣で、鳩の糞を集めてぶどうの肥料にするためのものだと云う。
現在、岩山の内部にははいれないそうで少し残念だった。

道路の反対側、少し下ったところで一人おばさんが店をひろげて手編みレースの敷物を売っていた。とてもきれい、2枚買った。

   
     
                       ウチヒサール        
 

続いてすぐ近くのギョレメ・パノラマ・ポイントへ行く。
朝散歩で来た地点より少し南側か、道路沿いに観光客目当ての店が何軒も並んでいる 。 きのこ岩の乱立するギョレメ谷、谷の中央に広がるギョレメの町の絶景、見飽きない。

トルコ名物、伸びるアイスクリームを頼む。若いお兄さんが満身の力をこめてアイスクリームをかき混ぜると、伸びる、伸びる、背丈の上まで伸びたアイスクリームをカップに入れてくれた。
味はまあ、とろりと粘って、もひとつかな。
時間があまって、長いこと休憩した。売店では風鈴のようなガラスと陶器玉をぶら下げた飾りが天井中に飾ってある。きんきらきんのビーズ細工、絵葉書、総天然色の世界。

11:30 ウチヒサール・カヤという四つ星ホテル付属のレストランで昼食。絶壁の上に建てられていて、ここからの景観も素晴らしかった。
このホテルはハルさんの会社DORAKツアーの経営だそうだ。
DORAK TOURSという会社は日本のツアーを一手に引き受けているトルコの大きな旅行会社で、いくつものホテル、レストラン、バス等を持っているらしい。

マッシュルームスープ、水餃子風、マトンと野菜の煮込み、キョフテ、杏子のデザートをおいしく食べる。
食べ終わってからもベランダに出てウチヒサール方面の洞窟住宅やローズバレーの岩壁を眺めて楽しんだ。

   
     
                              レストランからの展望。    左から ウチ・ヒサール   キョレメの町    右奥は ローズ・バレー    
 

12:30カイセリへ出発。1時間でカイセリの飛行場着。
途中右側にエルジェス山(3916m)が高く聳え、白く輝いていて美しかった。  ここでドライバーのイザーミさんとお別れする。

トルコのトイレは何処に行ってもきれいで気持ちいい。紙は流せないけど水洗に問題はなく、汚れていることがない。茶店では1TLとる所も多いが、きれいなのがとにかくありがたい。

15:05カイセリ出発。イスタンブール・アタチュルク空港16:35着。
17:15 アクギュン・ホテル到着。旧市街の西側、地下鉄ウルバトルトプカピ駅のすぐ近くにある5つ星のホテルだ。

ショッピングモールのレストランに行くと良いとハルさんが言うので、ホテル玄関前の大きな幹線道路を歩いていく。
地下鉄一駅分も歩いて、何人もの人に聞いたけどどうしても分らなかった。
人通りの多い商店街に行ってミネラルウオーター、果物、シシケバブを買ってホテルに帰り、部屋で食べる。湯沸かし器とコーヒー、ティーが部屋にあるのがうれしかった。
20:30 寝る。

   
  3月21日(木) イスタンブール観光・ブルーモスク ~ アヤソフィア ~ トポカプ宮殿 ~ グランド・バザール ~ エジィプシャン・バザール
          ~ ガラタ橋 ~ シルケシ駅 (ツアー終了) 地下宮殿 ~ ジャーロウル・ハマム 
   
 

今日は一日中イスタンブールのメイン観光地を見て回る予定だ。
8:30 ロビーでハルさんと待ち合わせて、スルタン・アフメット地区へ行く。

(1) ブルーモスク
ブルーモスクは正式名をスルタン・アフメット1世ジャミイという。
1616年建立のオスマン朝建築の傑作のひとつとして名高い。
6本のミナーレ、高さ43m直径27.5mの大ドーム、4つの副ドームを持つ壮麗なジャミイである。大ドームの下に入ると、円天井に描かれた文様、ブルーの色が上品な2万枚以上のタイルの壁、260もの窓のステンドグラス、中央の円形に並ぶ明かり、
それぞれが相まって喩えようもなく美しい。
荘厳な雰囲気に息をのむばかりだった。大変な観光客の数も苦にならない。

     
  スルタン・アフメット一世ジャミイ             アヤソフィア    
     
  ブルーモスク内部            

        ブルーモスクの天井

   
 

(2) アヤソフォア聖堂
アヤソフィアは聖なる叡知という意味で、ビザンツ建築の最高傑作と評されている。
325年コンスタンティヌス帝によって建築がはじまり360年完成したが火災で焼失、537年ユスティニアス帝により現在の大聖堂が完成した。
以後ギリシア正教の大本山として崇められていたが、オスマンの征服によってミナーレが建てられイスラム教のジャミイに変えられた。
20世紀に入って漆喰で塗り込められたモザイクが発見され、アヤソフィアはビザンツ時代の遺跡として注目をあびる。

   
 

現在は博物館として公開されているがまだまだ修復中で、大ドームに入ると左側には高い足場が組まれていた。
20年前に来たときはジヤミイ然としていたが今は随分教会らしくなっている。
50mを超える高さのドームには黒に金のカリグラフィーの円板がそのまま掲げられていて、
モザイク画と共存している様が複雑な歴史を思わせる。
細い階段を上って2階のギャラリーに出る。上から教会身廊をながめると新にその壮大さに驚く。
内陣の半ドーム内の聖母像を身近に見られるスポットがあった。
キリストのモザイク・イコン、イエスを中心にした皇帝像、聖母子像等の漆喰をはがされたモザイクの数々が見られてうれしかった。

   
       
  2階から見たアヤソフィア聖堂の大ドーム アプス(内陣)半ドームにある
聖母子のモザイク画
  デイシスのモザイク・イコン 
イエスを中心にマリアと洗者聖ヨハネ
  聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻
のモザイク画
   
  (3) トプカプ宮殿
総門(皇帝の門)を入ると広い庭園が中門まで続き、第1庭園と呼ばれる。左手に聖エレーヌ教会が見える。ビザンツ時代、最初に建てられた教会だそうだ。
トプカプ宮殿は1453年にイスタンブールを陥落したメフメット2世によって建造された。
70万㎡の広大な敷地をもつ宮殿は単なるスルタンの住居ではなく政治の中核であり、1856年ドルマバチェ宮殿ができるまでの400年間、オスマン朝の中心としての役目を果たしてきた。
中には会議場、スルタンの居室、ハレム、厨房等が見られる。
   
 

門の周りは観光客だらけでびっくり。荷物のチェックがあるので大混雑している。
中門は儀礼の門と呼ばれ、スルタン以外はここで馬を降りたという。
第2庭園は左右を建物に囲まれていて、左がハレム、右が陶磁器コレクションで有名な厨房。今日は時間がないので明日見ることにする。

ロココ様式の幸福の門を入り、謁見の間を通って、芝生のきれいな第3庭園に行く。
周囲の部屋にはスルタンの衣装、宝物の数々が展示されている。
ハルさんの説明を聞きながら第4庭園まで行き、しばしボスポラス海峡の景色にひたる。1時間の自由時間となる。

宝物館の前は盛大な行列が出来ているので第4庭園に建つバクダット・キョシュキュ(あずまや)とレヴァン・キョシュキュに行く。

金閣湾とボスポラク海峡を見晴らす位置に建てられらた優雅な東屋だ。
イズニックタイルの壁装飾が素晴らしい。
ドームの天井画、窓のステンドグラス、象嵌の木扉等も美しくて見飽きない思いだった。

     
    中門(儀礼の門)    第4庭園    
 

   
  バグダット・キョシュキュ(あずまや) トプカプ宮殿の外壁と金閣湾   割礼の間の外壁   外壁のイズミックタイル    
 

(4) バザール
トプカプ宮殿を出て、高級店の並ぶ ヌルオスマニエ通りを歩き、グランド・バザールへ行く。
20年前に来た頃とはすっかり様変わりしてきれいなショッピング街になっていた。
貴金属を中心にカラフルなランプ屋、ナザール・ボジュウ(目玉のお守り)が目に着く土産物屋、革小物店などが並んでいる。

早々に出て、人、人、人でごったがえす細い坂道をエジプシャンバザールにむけて歩く。
ここは繊維の問屋街であらゆるものが安いそうだ。下着から礼服や結婚衣装まで売っていて、トルコスタイルをつぶさに楽しんだ。
エジプシャンバザールは食料品、日用雑貨を扱うバザールで、観光客と現地の人であふれかえっている。
すごい人ごみの中でフルーツを棒状に固めたお菓子を買ってみた。おいしそうだけど以外に重たい。

 

(5) ガラタ橋とスイルケジ駅 
ガラタ橋のたもとに出る。ガラタ橋はエミノキュ桟橋とカラショイ桟橋を結ぶ、金閣湾にかかる橋。
二階建てになっていて1階はレストラン、土産物屋が並び、2階はトラムも通る大通りになっている。
トルコ人はよほど釣りが好きなのか、橋の上は釣り人が鈴なりだ。下のレストランで名物、サバサンドを食べる。
新鮮なサバとフランスパンの組み合わせ、結構いける。
時々目の前で釣り糸にかかった魚が挙げられていくのがおかしい。結構釣れるみたいだった。

食事を終えて、スイルケジ駅へ行く。ここはオリエント急行の終着点だったところだ。
今は列車の発着も少なく閑散としているが、待合室はシャンデリア、ステンドグラスもそのままで、
古き良き時代の優雅な趣を残している。

   
ここでツアーは終わり、バハルさんとお別れをする。 ありがとうございました!     繊維街  ごったがえす人・ひと・・
         
    ガラタ橋   ガラタ橋のサバサンド屋   スイルケジ駅の待合室    
 

(6)イエレバタン地下貯水池
さて、ここからフリータイム。イエレバタン地下貯水池に行くことにする。
イスタンブール旧市街にはいくつかの地下貯水池が発見されているが、イエレバタン貯水池は4-6世紀に造られた特に重要な貯水池で、地下宮殿とも呼ばれている。
高さ9m、長さ143m、幅、65mの地下空間は336本のコリント式柱で支えられ、水は20kmもはなれた郊外から土管、水道橋で送られ市民に供給された。

イエレバタン通りの入口から入ると、薄暗い照明のなかに整然と円柱が並び、アーチが美しく、幻想的な空間がひろがっている 。
満々と貯えられた水に柱が映りこんでさらに効果的だ。木の遊歩道を歩いていく。
有名な柱の基壇にメドウーサの首を使った2本の柱、一方は逆さ向き、一方は横向きの顔の上に円柱が乗っている。
目玉飾りで覆われた柱は願をかなえてくれるという言い伝えがあるそうだ。

   
           
  イエレバタン地下貯水池 コリント式列柱 目玉飾りで覆われた柱は   メドウーサの首を土台に使った柱        
 

(7) ジャーロウル・ハマム
イエレパタン通りにあるジャーロウル・ハマムに行く。ここは1741年メフメット1世によって建設されたもので、今は観光客用ハマムとなっている。
現金オンリー、ユーロかTLのみ、といわれて仕方なく両替店を探しに行く。さんざん迷いつつ探し回って、やっと見つけた。疲れた。

シャンプー、垢すり、マッサージのフルコースを頼んだ。ロビーのある部屋の2階で服を着替え、浴室に入る。
混雑していて中央の台ではヨーロッパ人ばかり8人が垢すりマッサージの最中だった。壁側の水盤のあるコーナーでは5人もの人が待っている。
仕方ない、熱気と湿気あふれる室内で時々水をあびつつ、ヨーロッパのご婦人の体型を観察しつつ順番を待つ。
大理石で作られた室内は湯気でかすみ、高い天井から落ちてくる光が心地よく、いかにも伝統あふれるハマムらしい雰囲気。
フルコースの入浴は優しいおばさんがゆっくり丁寧に垢すりマサージをしてくれて気持ちよかった・・・・でも高すぎるかなー。

すっかり体がほぐれて気分最高。スルタンアフメット公園の横のレストランでビールを飲み、マルガリータ・ピザを食べた。湯上りのビールはおいしい!

18:20 スルターナメット駅からトラムに乗りホテルに帰る。ホテルまでは6駅目のユスフパジャ駅で降りて、地下鉄アサクライ駅に行く。
3駅目のウルバトル・アサクライ駅で降りたらホテルはすぐそこ、というコースだ。
はじめてのトラム、地下鉄なので乗り過ごさないか緊張した。トラムも地下鉄も料金は一律3TL、これは分りやすかった。

一段落ついて、コーヒーを飲み、お菓子とオレンジを食べて寝る。

   
  3月22日(金)  トプカプ宮殿・ハレム ~ 考古学博物館 ~ グランドバザール    
 

朝から雨模様。
朝食バイキングの今日のセレクトはアンズ入りヨーグルト・すっぱいスープ(?)・リーフサラダ・スクランブルエッグ・黒オリーブ・パン・チャイ。 

8:00 しょぼつく雨の中をトプカプ宮殿へと出かける。地下鉄とトラムの乗り方も分ったことだし・・・

陶磁器コレクションは閉鎖されていたので、スルタンの衣装と宝飾品をざっと見て、第2庭園のディワン(議会室)と武器庫を見る。
議会室は権威の誇示のためだろう、金の装飾がふんだんに使われ大理石が壁にはめ込まれていて豪華、室内では警備員が警備にあたっていた。

   
 


隣の入口からハレムに入る。
羽部を覆い尽くすイズニックタイルの美しさにまず目を奪われた。

ハレムとは一般的にイスラム社会における女性の居室であり、宦官以外のの男性は立ち入り禁止だった。
トプカプ宮殿のハレムはシュレイマン1世の時代にベヤズットの旧宮殿から移され、ひんぱんに増改築が繰り返されたので内部は迷路のように入り組んでいる。
かつては400もの部屋があり最盛期には1000人もの女奴隷がいたと言う。

女奴隷はの身分は大別すると侍女、側室、夫人に分かれ、徳川時代の大奥とよく
似ているが、トルコでは尊称は与えられても、原則身分は奴隷のままだったという。

       
    トプカプ宮殿 議会室        
 

部屋の装飾は華美だか、外部の侵入と逃亡を防ぐために窓は鉄格子がはめられ、室内は陰鬱な雰囲気がただよう。
なお、王宮がドルマバチェフ移った後もハレムは小規模ながら存続し、1909年になって解散された。

   
 

ハレムの入口を入り、警備、力仕事が主な仕事だった宦官の部屋を通る。
内廷のメインゲート“メシュクハーネの門”を入ると石畳みの道路が真っ直ぐに敷かれて、カリエ(侍女)の中庭へ通じる。両側は侍女の住居。
逃亡を避けるため窓には頑丈鉄格子がはめられている。

次にスルタンの母后の部屋に行く。スルタンの母后はハレムの最高権力者。部屋も大きく女らしい雰囲気で、シンプルなグリーンのタイル壁が上品だ。
上層部は黄色い壁に窓や柱の絵、風景画が描かれ、ドームも草花模様の手書きになっている。入口のしっくい壁にも風景画が描かれているのが物珍しかった。
女奴隷としての侍女もスルタンの寵愛をうけると側室として独立した部屋を与えられ、それぞれに自分好みに改装したらしい。
2,3、側室の部屋を見る。個性的で華美なイズミックタイルの集積に目が釘づけ、でも正直言って息がつまりそう・・・。

つぎに、 ハレムの中で一番美しいと言われるムラト3世の部屋に行く。16世紀に造られた古い居室。
ドームまでタイルで覆われているが大きなステンドグラスの窓が解放的で、金張りや象嵌の扉、美しいストーブと水盤、天蓋付のベッド等こだわりのインテリアはさすが。
ムラト3世は生涯ハレムの部屋づくりのに熱中したらしい。

   
  アフメット3世の食堂は壁一面に花と果物が描かれた可愛らしい密閉空間で、
フルーツの間と呼ばれている。 ここは残念なことに撮影禁止だった。

最後に鳥かご(カフェス)・皇子の間へ行く。15世紀以降のオスマン帝国では王位争いを避けるため、即位した王子の兄弟たちをハレムの一角に軟禁した。
その部屋を鳥かご(カフェス)と呼ぶ。
一段高くなった床に絨毯が敷かれ、赤い座席と火鉢が設えてあった。
今までに見ない濃い色彩のステンドグラスが印象的な部屋だった。
幽閉所と知らなければもっと気楽に見れたのだが・・・
   
        “メシュクハーネの門”を入る   カリエ(侍女)の中庭    
     
  スルタンの母后の部屋 スルタンの母后の部屋   側室の部屋   側室の部屋    
     
  ムラト3世の部屋 ムラト3世の部屋   鳥かご(カフェス)・皇子の間        
 

 なかなか雨が降りやまない。  ベンチで休憩して、11:00 トプカプ宮殿の隣にある国立考古学博物館へ行く。 遠足の小学生と一緒になった。無邪気でかわいらしい。

博物館は古代東方博物館、考古学博物館、装飾タイル博物館の3つに分かれている。

   
 


まずは古代東方博物館に行く。
シュメール、バビロニア、アッシリア、ハッティ、ヒッタイト文明の遺物が展示されている。
バビロンのイシュタール門の彩色タイルにみる馬や牛ライオン、シュメールのレリーフ、神官像、ヒッタイトのスフィンクスやライオン、どれも魅力的でとてもおもしろかった。

続いて考古学博物館に入る。
アルカイック時代、ヘレニズム時代、ローマ時代の彫刻を見る。 2階でテラコッタ像のコレクションを見て、一旦入口に戻り、左側の石棺展示室に行く。
ギリシャ時代の素朴な石棺からローマ時代の華麗なものまで逸品ぞろいだが、
圧巻は“嘆き悲しむ女たちの石棺”と“アレキサンダー大王の石棺”。群像レリーフが石棺の4面を飾る。
ローマ時代の石彫表現に見惚れた。

12:30 疲れ果てて中庭に出る。 先だっての小学生が群がっていて、稔、大勢に取り囲まれている。
何人もから一緒に写真を撮ろう、と頼まれているらしい。私もその喧噪に飲み込まれる。

ひとしきり遊んで、休憩してから、装飾タイル博物館に入る。
この建物はメフメット2世が建てた東屋で、壁がタイルで飾られている。
東屋としては最古のものだという。
部屋の中のタイル装飾も素晴らしく、ガラスケースの中には12世紀からのセルジュク、オスマンの陶器類が並んでいる。とても魅力的な陶器だった。
イズニック最盛期の陶器は数が少ないと聞くので、これは貴重なコレクションにちがいない。

 

     
  Lugal dalu の像(シュメールの神官)   バビロンのイシュタール門の彩色タイル   ハットウシャシュのスフィンクス    
       
  カリアティード
(柱の役目をはたす婦人像)
  アレキサンダー大王の石棺   嘆き悲しむ女たちの石棺    
       
  オスマン朝イズニック の壺   チューリップの皿   東屋の壁面    
 

13:10 トラムの通る大道りに出て、イエレバタン通りのロカンタで昼食にする。
私はナスと羊肉の煮込み(イスリム・ケバブ)、ひき割り小麦のピラウ(ブルグル・ピラウ)トポテト、トマト添え。稔はなすとミンチ肉を交互に櫛ざししたケバブ(パトウルジャン・ケバブ)。
食べ終わったらすでに2時半。雨がまた降り出して寒い。

新市街に行くには遅いのでグランドバザールに行って早々にホテルへ戻ることにする。稔、バザールで革の財布を、最初の言値の1/4で買ったそうだ・・・
バザールの中に居るだけで疲れた。どしゃぶりの雨になる。ベヤズットの出口からバザールを出て、トラムの前の店で休憩。 コーヒーを飲む。
雨の中、早々にホテルに帰る。

   
       
  ロカンタの店頭・ギョズメレ(お好み焼き)の皮を焼く ケバブ屋さん   屋台のパン屋さん   ジュース屋さん    
  3月23日(土)  カーリエ博物館 ~ ヴァレンス水道橋 ~ シュレイマニエ・ジャミイ ~ エジプシャン・バザール    
  6:30朝食。 8:30出かける。 今日は旧市街を歩き回る予定だ。何とか雨は上がったけど、分厚い曇り空が不安。

地下鉄の駅の横のテオドシウスの城壁を見に行く。これは、413年テオドシウス2世によってきずかれた城壁である。
堅固な城壁は外敵防禦の目的で南のマルマラ湾から北の金閣湾まで続いていて、7-9世紀の間に、ペルシア軍、アラブ軍、ブルガリア軍、ロシア軍の攻撃をはね返したそうだ。ウルバトルトプカプ駅近辺は城壁中央に近い。
高さ13mもある石積の城壁が延々と続くさまは圧倒的、歴史ロマンを感じさせる。
     

カーリエ博物館に行くべく、トラムに乗ってエディルネカプ駅で降りる。駅をでたは良いが、方向が分らなくてウロウロする。
知らない町を歩くときは磁石を持つべきだと実感。博物館にたどりつくまでいろんな人に道を聞きまくった。

      テオドシウスの城壁    
 

カーリエ博物館は、5世紀にコーラ(ギリシャ語で郊外の意味)修道院として建てられた、レンガ造りのずんぐりした建物だった。
16世紀、ミフラブやミナーレが加えられてカーリエ(アラビア語で郊外の意味)ジャーミイに改修され、壁画も塗り込められたが、20世紀に発見され現在は見事に修復されている。

入口を入ってすぐの外側拝廊と内側拝廊はイエスとマリアの物語のモザイク画、右側の付属礼拝堂はフレスコ画で覆い尽くされている。
ビザンチン美術の最高傑作と評されているこれらのモザイクは14世紀に追加制作されたものらしい。
マリアの生涯の物語が克明に描かれていて印象的だった。そして付属礼拝堂の一番奥にアダムとイヴを救おうと二人の手を取るイエスが描かれているのも興味深かった。

   
       
  カーリエ博物館 付属礼拝堂 中央聖堂              内側拝廊    
     
      付属礼拝堂  アダムとイヴの手をとるイエス 内側拝廊のドーム 十二使徒  内側拝廊のドーム マリアの生涯   外側の拝廊入口壁面 イエス    
             
 

タクシーでヴァレンス水道橋まで行く。30TLもとられた。ぼったくりだ。

ヴァレンス水道橋は4世紀に完成した2階建てアーチ型の水道橋。
水は橋の上を流れてベオグラートの森から地下貯蔵庫へと送られた。
アタチュルク大道りをまたぐ堂々とした水道橋の姿は、
まさに古代と現代との交差を具現していると云える。

ここからシュレイマニエ・ジャーミイまで歩いた。これがなかなか大変で、
古都のくねくねした道は本当に分りにくかった。

     
  ヴァレンス水道橋   シュレイマニエ・ジャーミイ    
 

シュレイマニエ・ジャーミイは16世紀オスマン帝国の最盛期を作り上げたシュレイマン一世のジャーミイとして、オスマン最大の建築家ミマル・スイナンによって建造された 。
建設当時はジャーミイの周囲に神学校、ハマム、救護院、病院等を持つ複合施設になっていた。 ドームは高さ53m直径26.5m。
小高い丘の上の堂々とし建物は何処からでも見える。内部の装飾はバランスの良い清楚な美しさにあふれ、厳粛な雰囲気がただよう。

入口でク靴を脱ぎ、スカーフを借りて、中に入る。
観光客は誰もいない。二人ほどがミフラーブ近くで読書しているだけで、とにかく静か。 座り込んでゆっくり休んで、ドームを見上げる。

エディルネのジャーミイを見たいと思っていたが、散々バスの旅をした後でまた5時間のバス旅をする気にならなくてやめた。
その代わりに来たのだけれど、来てよかった。 さわやかな空間が気持ちいい。

   
     
  シュレイマニエ・ジャーミイ礼拝堂 シュレイマニエ・ジャーミイ ドームの装飾
 

ここからエジプシャンバザールまでは近いはずだと思って歩き始める。いろいろな人に道を聞きながら歩くがどうもよく分らない。
方向を間違えたらしく、散々歩いて、気が付いたらマルマラ海岸に出てしまった。もう14時に近い、疲れた。タクシーに乗ってエミノニュ広場まで行く。

エジプシャンバザールでチーズ、いちじく、あんず、アップルティー等々家に持って帰るものを買って、広場の前のレストランに入る。
白インゲン豆の煮込み、ケバブとラムチョップをとって,二人で分けて食べた。おいしかった。

少し元気がでてきたので、横のイエニ・ジャーミイを覗き、トラム沿いにスルタンアフメット広場まで歩く。
途中、マクドナルドの店があったので、興味本位でコーヒーを飲んだ。欧米人にもトルコ人にも大人気の様子で大繁盛だった。
広場のベンチに座り込んでアヤソフィアとブルーモスクが夕日に映える様を眺める。 片隅に猫が数匹、遊んでている。 トルコも猫の多い国だ。

 

 

3月24日(日)  ドルマバフテチェ宮殿 ~ ルーメヒ・ヒサール ~ タクシム広場 ~ ガラタ橋 ~ エミノニュ ~ ホテル
                                          25日 01:50発 トルコ航空(TK-046) ⇒ 関空着 18:25

 

6:30朝食。昨日と同じセレクトでおいしくいただく。 9:00までベッドで休憩。  今日はトルコ最後の日、新市街を日観光をして夜中に帰国する予定だ。
9:30 ホテルにトランクを預けてチェックアウトする。

トラムでガラタ橋を渡り終点駅カバタシュ駅まで行ってドルマバフチェ宮殿に行く(3TLは安い)。
今日はいい天気なので海岸沿いの道は気持ち良く、ボスポラス海峡とアジア側の景色が美しい。5分程で到着。
荷物チェックの長い行列について門を入り、建国の父アタチュルクの亡くなった時刻を指している時計塔、龍や白鳥のデコラティブな噴水のある庭園を進む。
今日は日曜日とあってすごく混雑しているようだ。宮殿玄関の階段に長蛇の列が・・・・
30分おきにトルコ人と観光客を分けてグループをつくり、ガイド付き案内で宮殿内を周る仕組みになっている。 炎天下大分待たされた。

 ドルマバフチェ宮殿は19世紀、建ボスポラス海峡に沿って建てられたヨーロッパ・バロック様式の宮殿である。
部屋数285、広間43室もある豪奢な建物で、中央の公的空間と北側のハレムに分れている。現在も迎賓館として使われているそうだ。

見学は中央の”クリスタルの階段”を上り、”大使の間“から始まる。大きなシャンデリア、ヘレケ織り絨毯、豪華な調度品が置かれている堂々たる大広間だ。
スルタンの部屋、側室たちの居室を見学して、最後に吹き向けの大広間”儀式の間“へ行く。
豪華な空間、特に天井のシャンデリアは圧巻で、750のキャンドルを持つ重さ4.5tのバカラ製だと云う。(撮影禁止だったので、写真は絵葉書等からとった)

見学し終って出口のテラスに座り込み、ボスポラス海峡のさわやかな風を楽しむ。
対岸はアジア側の町、ユスキュダラ、以外に近い。宮殿から直接船で出かけられるように船着き場が設けられ、門が目の前に建っていた。

     
                              ドルマバフチェ宮殿 クリスタルの階段   大使の間   書斎
     
                              ドルマバフチェ宮殿 外観   ボスポラス海峡船着き場    
 

12:30 タクシーに乗り、ボスポラス海峡沿いの砦、、ルメヒ・ヒサルへ行く事にする。

道はボスポラス海峡に沿って延々と続いている。日曜日とあって大変な渋滞ぶり。
特に オルタキョイ の町では一歩も動かない有様だった。おかげでボスポラス大橋をじっくり下から眺められたけど。
町を通り抜けてスムーズに走り出したと思ったら、ルメヒ・ヒサル手前の町 ベベッキ でまた渋滞の波に巻き込まれる。
道が1本しかないから逃れようがない。もう降りる、と云うのを無口な運転者になだめられて、砦の見える場所まで行った。

13:20になっていた。海沿いの瀟洒な町で波止場に沢山のヨットが停泊し釣り人が大勢竿を垂れている。
対岸のアジア側はすぐ目の前だ。
のんびり散歩して、レストランを探す。現金がないのでVISAの効くカフェでサンドイッッチとチャイを食べた。

 
 

14:30 ルメリ・ヒサル到着。

  ルメリ・ヒサルの前の波止場
 

ルメリ・ヒサルは1452年オスマントルコのメフメット2世がビザンティン帝国の最後の砦、コンスタンティノープルを攻略する為に造った砦で、ボスポラス海峡の最挟角部にある。
コンスタンティノープルへ物資を運ぶ船を、ルメヒ・ヒサルと対岸にあるアナドル・ヒサルとで挟み撃ちにして攻撃したという。
メフメット2世は翌年の1453年、船を山越えさせるという奇襲攻撃でコンスタンティノープルを陥落した。

現在、ルメリ・ヒサルは公園になっていてよく整備されている。丘の上に立つタワーまで急階段を登るとファティフ大橋と対岸の町が真下に見える。何とも言えず気持ちいい。
階段は狭く急勾配で手すりもないので高所恐怖症気味の稔は気分良くないらしい。反対側のタワーへも登ってみる。塔と塔の間は高い城壁が繋いてあって、若い子が何人も登っていた。

 
        ルメヒ・ヒサル   遠方にファティフ大橋が見える      
 

17:00 帰りはタクシーに乗るお金がないのでバスに乗ってタクシム広場まで行った。
バスはスムーズに走ってる、と思いきやオルタキョイの町からはやっぱり渋滞がひどかった。終点タクシム広場18:15到着。ボスポラス大橋からなんと一時間かかった。

タクシム広場は新市街の中心地で、中央にトルコ共和制記念碑が建っている。
今日は日曜日だからか、大変な人波だ。皆思い思いに座り込んでいる。アンティークの路面電車が止まっていて中で子供達が遊んでいた。

ゆっくり休憩して、イスティクラール通りを南に1キロほど下る。すごい人、人、人・・・
中央を路面電車がゆっくり走り、両側はワールドブランドのショップ、通りの上にイルミネーションの飾り、イスタンブール随一のおしゃれで華やかな通りである。

ガラタ塔に昇って夕日のイスタンブールを見たいと思ったけど、塔の前の長蛇の列を見て挫折。
そのままカラキョイまで階段を下りてガラタ橋を渡る。釣り人で欄干はすきまもない。女の人もいた。バケツを覗きこむと結構魚が入っている。サバかなあ。餌の小エビを売ってる人もいる。

日が暮れかけて金閣湾の夕日が美しい。エミノニュのサバサンドの店が派手なネオンに輝きだした。再びイエニ・ジャミイを覗いて、ガラタ橋とガラタ塔の夜景を見おさめる。
菓子屋でチョコレートを買ってから 20:00 ホテルに帰る。

     
                             新市街 タクシム広場   イスティクラール通り   ガラタ橋からの夕景
     
                           夕方のエミノニュ   ライトアップしたガラタ塔   お菓子屋さん
 

ホテルでトランクを受け取り、タクシーに乗ろうとしたら、ボーイさんがホテルの車で送ると云う。何かの間違いでしょうと云ってもいやいやどうぞの一点張り。
大きな車で空港まで送ってくれた。 途中でバハルさんと連絡がついて、間違いに気が付いたらしいけど・・・

チェックインを済ませて、11:30 搭乗口の椅子で休憩。  0:50発の予定が1時間遅れるらしい。もうあきらめた。

トルコ航空TK046便で関空到着 3/25(月) 19:45。

盛りだくさんの贅沢な旅行で、トルコの文化と歴史を十二分に楽しんだ。 二人とも以外と元気。 HAPPY!!!