2014年2月18日~23日 カンボジア遺跡をめぐる旅
2月18日(火)  関空 10:00発  広州 14:00着(CZ394) 16:00発  シェムリアップ 17:40着(CZ3063)

はじめて乗る中国南方航空にちょっとドキドキしていたが、広州の乗継ぎもスムーズにいき、無事シェムリアップに17:40到着した。(時差2時間、日本時間で19:40)

 広々とした空港はのどかな雰囲気で、大きな屋根を持つ平屋建ての建物が美しい。夕日が真っ赤に燃えて地平線に消えて行った。さすが南国、暑くてセーターを脱いで半袖のTシャツ一枚になる。ここはカンボジア随一の観光地とあって観光客がいっぱい、やっと見つけた現地のガイドさんはナットさんと云う男性だった。
結構日本語が達者だけど、日本語を勉強し始めてまだ2年だという。聞くより話すほうが得意みたいだ。

 今回のツアーも同伴者がいなくて、私たち二人だけ。トヨタのエアコン付き高級車に、大人しいドライバーと親切なガイドをはべらして、後部座席にふんぞりかえる。本当に贅沢なことだ。
シェリムアップ市内のローカル・ビアガーデン”Mrグリル”で夕食。アンコールビールで乾杯する。朝はダウンとマフラーで寒さに震えていたのに、今は半袖Tシャツでビールがおいしい。

 ホテルはナブツ・ドリームズ・リゾート&スパ。イタリア人経営の小さなデザイナーズホテルで、欧米人に人気があるのだとか。
町はずれに造られたリゾート型ホテルでまわりは畑以外何もない。
開放的な玄関、足元のライトに導かれて歩く庭園が気持ちよく、プールの真ん前の部屋も広々とおしゃれで、いい感じ。

 
        シェムリアップ空港  

2月19日(水)  アンコール・トム ⇒ タ・プロム ⇒ アンコール・ワット ⇒ プレループ ⇒ ナイトマーケット ⇒ アプサラ舞踏

 6:00起床。 7:00 プールに囲まれた東屋で朝食。コーヒー、パン、ヨーグルト、ベーコンエッグ、フルーツ、皆おいしく満足。
 8:00 アンコール・トムへ出発。 料金所で顔写真入りの入場券をつくってもらい、これを常にクビからぶらさげて歩く。
南大門の近くで車を降りた。道の両側に客待ちのトウクトウクが並んでいる。立ち並ぶ売店の雰囲気といい、なにやらのんびりした感じがするのはお国柄だろうか。
  
 アンコールトムAngkor Thomは大きな街と云う意味で、12C末~13C初めに造られた都城である。一辺3kmの正方形の敷地は高さ8mの城壁と幅130mの環濠が張り巡らされ、堅固な要塞都市として機能していた。そして、同時にクメール的宇宙観と大乗仏教に基づいた宗教都市でもある。
アンコールワットが完成してから30年後、アンコール朝はチャンバ王国(ベトナム)の襲撃をうけ危機に陥ったが、クメールの覇者と呼ばれるジャヤヴァルマン七世が王都を奮還。
クメール地域を解放して王位につき、アンコールトムの建設を始めた。
熱心な仏教徒だった王は城壁内の中央にバイヨンを建立。これは神々の住む須弥山の象徴としての寺院であり、各所に観世音菩薩の顔を彫込ませたことで有名である。

 

環濠にかかる橋を渡る。古代インドの神話”乳海撹拌“をモチーフに、橋の左側はヒンズーの神々が、右側には阿修羅が蛇神ナーガを抱えて並んでいる。大分破損がひどく、新に造った彫像をのせている箇所が目立つ。

 ”乳海撹拌“はヒンズー教の天地創造神話。不老不死の薬を得るため、ヴィシュヌ神の化身である大亀の上にマンダラ山を乗せ、大蛇ナーガを巻きつけて、神々と阿修羅が大蛇の胴体を綱として引き合った。1000年続いた綱引きで海は撹拌されて天女や女神、多数の創造物が誕生し、最後に不老不死の妙薬アムリタが得られた、という。

 アンコールトムには五つの城門があるが、南大門が一番美しい。砂岩でつくられた高さ25mの門には3mの大きな観世音菩薩の顔が四面に刻まれていてど迫力。左右に象に乗ったインドラ神が門衛として控えている。かつては木の扉が付いてたそうだ。 それにしても、仏の顔のついた門とは奇想天外だと思うのだが・・・

 

環濠の橋の阿修羅

 
 

南大門からバイヨンまでは深い森の中の道が続く。
東門から象に乗って、バイヨンの周りを一周する。15分間だけれど、高い位置から見るバイヨンはまるで岩山みたいで殊更美しかった。

バイヨンは二重の回廊と高さ43mの中央祠堂からなっているが、内部の構造は複雑に入り組んでいる。正面入り口、東門から入り、第一回廊を過ぎると内側に第二回廊があり、その上に四面仏塔が林立する上部テラスが続く。ここにはひときわ高い中央祠堂を中心に16の塔堂が配置され、完成当時は内部に仏像や守護神が祀られていた、という。

  バイヨン南大門 バイヨン全体像

砂岩のテラスを通って東門から第一回廊に入る。回廊は屋根が失われているので壁みたいだけれど、一面に彫られたレリーフが素晴らしい。
時間の都合で東面南側の“チャンバ群との戦いに向かうクメール軍の行進”をのみ見た。
クメールの指揮官は象に乗り、歩兵の行列の後方に指導者である中国人が続く。その後方には軍隊と共に移動する人々、兵士の家族。
背後は深い森で果実を採取する様子も見られる。 生活部分が詳細に描かれていておもしろかった。

 
  第一回廊東面南側 中国人軍の行進          第一回廊東面南側 クメール人軍の行進・軍隊と共に移動する人々    

第一回廊を抜けて第二回廊と中央祠堂方面を望むテラスに出る。塔堂が折り重なる様子は圧巻。
第二回廊に入り、東面レリーフ”ライ王伝説”を見る。第二回廊のレリーフはヒンズー教徒であるジャヤバルマン8世によって造られたので、
神話や叙事詩にちなんだ題材が多く、手法、構図ともに第一回廊とは異なるそうだ。

狭い通路を通って上部テラスに出る。塔堂がにょきにょきと眼前に建ち、
すべての塔堂に観世音菩薩の巨大な顔が彫られている、
しかも四面に!!
クメールの微笑と呼ばれる微笑みをたたえた観世音菩薩はそれぞれ違ったお顔をしているので見飽きない。
そしてアプサラ(天女)、デバター(女官やアプサラダンスの踊り子)のレリーフも美しかった。
中央祠堂の内部には仏像が祀られ、今も人々のお参りが絶えない様子だった。

 
            第一回廊を抜けて第二回廊と中央祠堂方面   デバター(女官 アプサラ(天女)
 
  仏塔が乱立する上部テラス       

北門からバイヨンを出て、まっすぐ北に向かって歩く。左側にパプーオン、王宮跡、右側にプラサット・スール・ブラット(12基ある)を眺めながら通過。象のテラスとライ王のテラスに行く。

 象のテラスとは王宮前広場に南北300mにわたって続くテラスの事で、ジャヤバルマン2世によって様々な式典祭事を行う場として造られた。
壁面に象のレリーフが刻まれ、階段の両側にもハスの花を摘む象の鼻を柱に見立てた装飾がほどこされている。
王宮の門塔の正面は王のテラスと呼ばれ、外壁はガルーダとガジャシンハ(ライオンとガルーダが一体化した聖獣)が交互に並んでテラスを支えている。

 隣のテラスは病に罹った王と思われる彫像があるのでライ王のテラスと呼ばれている。
高さ6mもあるテラスはラテライトと砂岩で造られ、内壁と外壁にビッシリと彫られたレリーフが見られるようになっている。
阿修羅と神々が一緒に描かれているのが珍しく、時代によって彫り方が様々なのも面白い。

 

   
  象のテラス 王のテラス               ライ王のテラス  

暑い。のどが渇いた。

土産物屋が立ち並ぶ一角に直行して、ココナッツジュースを飲む。 何ともいえずおいしい。  すっかりリフレッシュして、タ・プロームへと出かける。
 タ・プロームTa Prohmはバイヨンを造営したジャヤヴァルマン7世が母を弔うために造った仏教寺院で、広大な寺院には僧侶や踊り子が1万人近くが暮らしていたという。
そして発見当時の状態を残すため、現在まで樹木の除去や本格的な修復をせずに、自然の力をそのままに見せているのが特徴である。
ガジュマルの一種でスボアンと呼ばれる巨木が寺院をのみこむかのように成長し、のしかかっている様は、脅威的な自然の力を感じさせる神秘的な空間だった。
半崩壊状態の寺院の壁には美しいデバター像がたくさんあり、それも魅力のひとつだ。
 中央祠堂の中の壁には穴がいっぱい明いているが、建立当時は宝石が詰められていたとも言われている。  本当かなあ・・・。

 
       
       
       
    もっとも有名な巨木スポアン ウオーターフォール・ツリーと呼ばれる   東門にからみつくスボアンの巨木  

12:00 アジアン・スクウエアという庭の広い、スタイリッシュなレストランで昼食。クメール&インタナショナル料理でとてもおいしかった。

いったんホテルに戻り、14:40まで休憩。2人ともぐっすり眠って気分爽快。   元気よくアンコール・ワット観光に出かける。

 アンコールワットAnkor Watとは”寺院からなる都“という意味で、アンコール朝が興って300年後、12C前半にスールヤヴァルマン2世によって建造された。
30年の歳月をかけてヒンズー教の宇宙観を具現化したという。3層の回廊に囲まれた中央祠堂は世界の中心である須弥山を表し、神聖なる神と王の交信場所であった。
周囲を取り囲む環濠は大海を意味し、参道は神に近づくための道としてナーガ(蛇神)とシンハ(獅子)が守っている。

 14世紀、タイのアユタヤ朝の侵攻でアンコールワットは荒廃したが、16世紀以降、新に彫刻もつくられ仏教寺院として復活した。
20世紀に入ってクメールルージュによってかなり破壊されたが、1992年世界遺産に登録され、
現在、各国が協力して修復にあたり、付近の地雷撤去も進み、世界的な観光地として人気を博している。

 

 西参門の手前で車を降りて、環濠からはるかかなたに西塔門と中央祠堂を望む。環濠は広々として、水を渡るさわやかな風が気持ちいい。

 環濠を渡り、西塔門と呼ばれる大きな門をくぐる。中央3つの門の尖塔上部は崩壊しているが堂々たる石造建築だ。左右に回廊が伸びて、壁面に疑似連子窓が並んでいる。両端に象の門と呼ばれる段差のない門が配置され、象や荷車はここを通ったそうだ。
 西塔門を抜けて長い長い参道を歩く。舟の役目をするというガーナ(蛇神)とシンハ(獅子)が立つテラスが左右対称に7か所あり、足が止まる。素朴で力強い造形だ。

     
  西塔門   西塔門からの参道  

 

 
      聖池から中央祠堂を見る  

 参道の下の左右に何に使われたのかよく分らないという経蔵があり、聖池が配置されている。
下に降りて池のほとりに立つと蓮の花が咲き、中央祠堂の5塔が池に映ってえも言われず美しかった。

 第一回廊の壁面には神話や歴史を題材にした精巧なレリーフが刻まれていて、見ごたえがある。しかし時間の制限もあって西面しか見れなかった。
西面北側は古代インドの叙事詩ラーマーヤナから、誘拐されたシータ王妃を取り戻すためラーマ王子が猿軍と共に魔王ラーヴァナと大激戦を繰り広げる場面が描かれている。
猿軍団のひょうきんな表情も見事だった。南面はマハーバーラタのレリーフで、共に戦闘場面が延々と続く。何時かまた、ゆっくり時間をかけて見てみたい、と思う。

 第一回廊から第二回廊の間には十字の回廊が渡されていて、廻りは4つの沐浴用の聖池である。
1632年、父の供養のため参拝した森本右近太夫の墨書 “ここに仏四体を奉るものなり” が十字回廊にあった。

 
         
    第一回廊西面 猿の軍団   第一回廊西面 ラーマーヤナのレリーフ   十字回廊  

 階段を上って第二回廊に行く。
外側には窓がなく、内側に連子窓が並んで明かりが入るようになっている。東側はデバターのギャラリーとでもいおうか、様々な顔のデバターが並んでいた。
残念なことにカメラの電池切れで写真はひとつもない。

 回廊の中心広場から70度の傾斜の階段を上って第三回廊に行く。中央に中央祠堂が聳え立ち、回廊の四隅に尖塔が立つ。
段々暑さが身にこたえてきた。日陰に座り込んで中央祠堂を見上げる。須弥山を模した神聖なる祠堂は高さ65mもあり、上の方まで手を抜くことなく彫刻が施されている。

アンコールワットを出て、17:00 密林に沈む夕日を観にプレ・ループに行く。

 プレ・ループPre Rupはタ・プロームの東側にあるピラミッド式寺院で、3層の基壇の上に5基の祠堂が載っている。10C後半に造られた堅固な印象の寺院である。
プレ・ループとは死者を返す、という意味でここで火葬の儀式が行われていたそうだ。
中央伽藍と東城門の間に死者を荼毘に付すための石槽があることと、祠堂は東側以外の3方に手の込んだ偽扉が装飾されていることが特徴となっている。
しかし寺院の最上階からの眺めが素晴らしく、むしろサンセット鑑賞の観光名所としての方が有名である。

 私たちも石の急な階段を3層目まで登る。すでに大勢の人がカメラを手に夕日を待っていた。私たちも祠堂の階段に座って、目の前に広がるジャングルの広大な風景を楽しみつつ日没を待った。空が赤くなり夕日がジャングルに沈んでいく。美しい。
でも暗くなる前、皆が動き出す前に階段を降りようと歩き出す。稔のカメラを借りて写真を撮ったのだけど、後日、カメラをなくしてしまったのでこの時の写真もない。残念。

 少しナイトマーケットをぶらついて、夕食へと行く。
今日の夕食はアプサラダンスを鑑賞しながらクメールの伝統的料理をコースで食べる、という事で、アンコール・センチュリーホテルに行く。
今日はだれもお客さんがいないみたいで、庭園レスランの舞台のど真ん中に私たち二人、ポツンと座っているのみだった。

 演目は村に伝わる民俗舞踏(ココナッツダンスと魚師の踊り)と宮廷に伝わる伝統舞踏、そしてアプサラ(天女)の踊り。
とてもおだやかで優雅で、タイの宮廷舞踏とは似て非なるものと思わされた。音楽も素朴で魅力的だった。
食事もおいしかった。カンボジアはお米がおいしい、野菜が多くてヘルシー、味付けが淡泊で食べやすい。

21:00ホテルに帰る。朝から目いっぱい、本当に盛りだくさんの一日だった。

 
2月20日(木)  アンコールワット・サンライズ鑑賞 ⇒ バンテアイスレイ遺跡 ⇒ 水中遺跡クバルスパン ⇒ トンレサップ湖  
                     

 今日はは朝5:40ホテルを出発してアンコールワットのサンライズを観に行く。

 あいにく雨がポツリ、ポツリ降ってきた。今日の日の出は無理かもと思いながら真っ暗な中を西塔門めざして歩いていく。
すでに大勢の人がに塔門の壁沿いに座り込んでいた。私たちも階段に座って明るくなるのを待つ。
アンコールワットのシルエットが美しい。空が段々明るくなって伽藍の細部が見えるようになるまで粘った。
やはり朝日は拝めなかったが,じっくりアンコールワットの姿を鑑賞できてよかった。
聖池まで行き、再び水に映る伽藍を眺める。何度見ても美しい。
帰り道、大勢のお坊さんに出会った。現在、アンコールワットは仏教寺院としての役目をきちんと果たしているそうだ。

一旦ホテルに帰り、朝食につく。 オムレツには何とみじん切り野菜がたっぷり入っていた。

 

8:00 シェムリアップから東北に40kmのところにあるバンテアイ・スレイに行く。

 周辺は農村と畑が続く。農家は高床式家屋で、二階で生活をし、下は料理をしたり、農作業をしたり、家畜を入れたり、と多目的に使われているらしい。
一階の多くは壁なしだが、お金が貯まると壁を作るという。カンボジアは豊かな米作地帯なので、農民は貧しいながらも大家族で生活していけるとナットさんは云う。

 9:30到着。バンテアイ・スレイの東門に着いていきなり見事な破風に出会う。
雷神でもあるインドラ神が3つの顔を持つアイラーヴァタに乗って天空を駆けて雷雨を呼ぶ、というヒンズー神話を描いたレリーフだ。掘りが深く繊細、精巧な表現が素晴らしい。

バンテアイ・スレイBanteay Sreiはシヴァ神とヴィシュヌス神に捧げられた小寺院で、外壁は赤砂岩とラテライトでで造られているため、伽藍全体が赤く輝いている。そして装飾レリーフはアンコールワット遺跡の中でも群を抜いて優雅な美しさで有名である。10世紀後半に建立され、20世紀になるまで発見されなかった。

 東門を入ると赤いラテライトの道が真っ直ぐ続いて、両側にリンガを模した石柱が立ち並ぶ。日本の神社参道の石灯籠みたいだ。さらに3つの門をくぐり祠堂に着く。それぞれの門の破風にマハーバーラタのレリーフが緻密に彫られ、祠堂の壁面には”東洋のモナリザ“と呼ばれる美しいデバターの魅惑的笑みがみられる。本当に美しい。

 
       
  バンテアイ・スレイ 中央祠堂

経蔵北側破風 インドラ神が恵みの雨を降らせ、
(下部)人間も動植物も喜んでいる

     
     
   象の聖水を浴びて身を清めるラクシュミーと
    ナーガをかかえこむガルータ
第二東塔門破風 
カーラに乗るヴィシュヌ神
  第一東塔門横の周壁
 白鳥に乗ったブラフマー神 両側はシンハ(獅子)
東洋のモナリザと呼ばれる
中央祠堂のデバター
   
  15分ほど車で北へ走り、水中遺跡クバール・スピアンKhal Speanへ行く。

 ”川の源流“と云う意味をもつクバール・スピアンは霊峰ブノン・クレーン山の山腹、シェムリアップ川の源流にある水中遺跡である。
砂岩の川底や川岸に彫られたリンガやヴィシュヌ神、シヴァ神の力で清められた聖水が、シェムリアップ川に流れ国土の隅々まで豊穣をもたらすと考えられたそうだ。

   
 

 駐車場から1時間弱、渓流に沿って山道を登る。途中に滝があり、
そこから約200mにわたり様々な彫刻、特に大蛇の上に横たわるヴィシュヌ神が繰り返し彫られている。
神々の像もさることながら川底にひろがる無数のリンガにはど肝をぬかれた。
厳粛な寺院跡を見たあとに爽やかな渓流沿いを歩くのは解放感があって気持ちいい。 源流の流れとともに素朴な彫像を楽しんだ。

 12:45 シェムリアップへと帰る。
のどかな田園風景を眺めながら舗装道路を快適にドライブ。
途中、道路沿いで女の人がサトウキビから砂糖を作って売っていた。
ピュアーなおいしい黒砂糖だった。

 シェムリアップのアジアンフュージョンレストラン”アバカス“で昼食。
庭に大きなマンゴーの樹が茂りたくさん実をつけている。
モッツアレラチーズとトマトのサラダ、鶏肉のソテー、青菜とマッシュポテト添え、デザートはアイスクリームとパンナコッタ・・・・

 15:00 昼食後、トンレサップ湖クルーズへと行く。
チョンクニアと云う船着き場まで町から南に20分位だった。

船着き場付近の家は道路と同じ高さの高床式家屋になっているが、
その高さは半端ではない。
今は乾季だが雨季にはそこまで水が上がってくるのだろう。

     
        川底の大リンガ    
       
          大蛇の上に横たわるヴィシュヌ神。そのへそからハスの花が生え、花の上でブラフマー神が瞑想している    
 

トンレサップ湖Tonle Sapは伸縮する湖ともいわれ、雨季には乾季時の4倍もの面積になり、水深は8mも上昇するという。
500種類もの淡水魚が生息し、漁業が盛んに行われている。 ここの魚でカンボジア人のたんぱく質の80%を供給しているそうだ。
漁民一家は水上生活者として各地に村を形成していて、学校、商店、ガソリンスタンドも湖上にある。

さっそくに屋根つきの舟に乗って水路から湖に出かける。水路に沿った岸には市場がたち、ボートで買い物に来た人々で賑わっていた。
岸部にも材木屋とか米屋の浮家屋が並んでいる。乗客は私たちだけ。

湖に出ると岸部近くに数多くの家が水に浮かび、洗濯をしている人、網の修理をしている人、ボートでお出かけの人等が見える。
小学校には舟で通学する子供達の姿も見える。

大きな養魚場で舟を降りて休憩。
漁業の為の伝統的な道具が展示され、一角にワニが飼われていた。
屋上から広大なトンレサップ湖の風景に見入る。

水はあくまでも褐色の不透明さ、日本での湖の常識をくつがえされる。

 
  高床式家屋 トンレサップ湖の水上生活  
   
  水上生活村 広大なるトンレサップ湖            
 

 夕食は”スクエア24“というすこし郊外にあるオープンエリアのクメールレストラン。メニューは日本語で書かれていた。
揚げ春巻き、魚のサワースープ(すごくすっぱい)、カンボジア風チキンカレー、野菜のオイスターソース炒め、ごはん、カボチャとタピオカ入りココナッツミルク。
カレーはさつまいも入りで甘くてカレー味がしないのが不思議だった。

   
2月21日(金)  プリア・ヴィヘア遺跡 ⇒ コーケー遺跡 ⇒ ベン・メリア遺跡
                         
 5:00起床。6:00出発。今日はタイの国境近くまで行くので、朝食も取らずまだ暗いうちに出発した。 昨日と同じ道を行く。

 村のあちこちの売店でコーラやワインの瓶にガソリンを入れて売っている。ガソリンは高価なので皆必要分だけ少しずつ買うのだそうだ。
6時半頃夜が明けて真っ赤な太陽が上がった。今日もいい天気。
車はのどかな農耕地を両側に舗装道路を快適に走る。タイまで続くこの道は5年前につくられたそうだ。旅行案内書には道路が悪いので疲れると書いてあったが、
カンボジアの変化のスピードは予想以上に速い。

 8:00 アンロン・ヴェンAnlong Vengtoiu という町の食堂で朝食を食べる。
サンドイッチとフルーツのランチボックスを持参してきたけど、カンボジアの麺を頼んでもらった。
牛肉と牛肉団子入りクイティウ、生もやし、ライムを入れて、甘味噌をつけて食べる。 さっぱりとした味でおいしい。

 広大な大平原の中の一本道を走る。森林地帯はほとんどない。森を焼いてこれから開墾する予定の地が地平線まで続く。
開発はこの道路が開通して一気に広がったらしい。7-8年前はここら一帯、人の入れない暗い森林だった、いまでは森の動物一匹もいない、とナットさんは云う。

 途中で舗装道路から左側の近道に入る。どうやら軍用道路らしく途中にゲートがあって兵隊が立っていたが、注意だけで通してくれた。
まだ真新しい道路は赤い土が盛ってあるので、車の後ろはもうもうたる埃だ。車の後ろでバイクに乗ったらもう大変、とナットさんが笑う。
カンボジアは砂の多い土壌なのでこのように固い山土を上に盛って道を造るのだそうだ。
平原の中に兵舎がいくつも見える。タイとの紛争に一段落ついた現在、軍隊はいないが、国境監視隊が在住している。

 9:45プリア・ヴィヘア遺跡のチェックポイント到着。入場にはパスポートの提示が義務づけられていて、国境地帯を感じさせられた。
ここから遺跡の入口までは地元の四輪駆動のトラックに乗って、急勾配の山道を一気に500m上がる。最近道路が全面整備されたので快適である。

 プリア・ヴィヘアPreah Vihearはダンレック山脈の北斜面につくられた山岳寺院である。2008年世界遺産に登録された。
9世紀末ヤショーヴァルマン一世により建立され、その後何回も改修されたそうだ。
クメール寺院の多くは東西に伽藍の軸がとられるが、プリア・ヴィヘアでは南北に軸がとられ、5つの塔門が北から南へ800mにわたり一直線上に配置されている。
そして第一塔門から中央伽藍までは100mの高度差を登らなくてはならない。
 また、ここはタイとの国境線上にあたり、長年その領有権問題が紛争の種となったが、現在は緩和状態にある。
第一塔門から下の谷はタイとの国境で、付近の地雷は意図的に放置されているという。

やっと第一塔門に着いた。道すがら兵士たちの住居がたくさんあり、塔門付近にも兵士と子供達がのんびり遊んでいる。国境警備というよりは生活臭がただよう光景。

第一塔門は構造美が美しいとされ2000リエル紙幣の図柄にもなっているが、現在修理中で鉄棒だらけだった。
むしろナーガが両側に配置された欄干に見惚れる。この階段の下は国境かと思うと感ひとしおでもある。

第一塔門から第二塔門までの参道は長い長い石畳が真っ直ぐ通っている。両側にリンガが立っているが大半は崩壊している。
第二塔門は水平に伸びる姿が美しく残っていて、特に南側破風の乳海撹拌のレリーフが素晴らしかった。
第三塔門は一段高くなっていて、見晴しが良い。横の広場に望遠鏡が置かれ、兵士が一ドルでタイ側の丘を見せてくれる。
 ナットさんは丘の上のあの家屋はもともとカンボジアの物だったとくやしそうに言う・・・・国境問題は難しい。
第三塔門も多少倒壊しているが美しく、破風のレリーフも素晴らしかった。
第五塔門はヴィシュヌ神を祀る祠堂を中心に回廊、塔門で構成されているが、タイとの戦いで祠堂は完全に崩壊し、あちこちの壁に銃撃戦の跡が残っていて、痛ましかった 。
山頂の絶壁からは登ってきた車道、地平線まで続くカンボジアの大平原を見はるかす絶景を楽しんだ。
帰りは四輪駆動車の荷台に乗って快適にゲートまで下る。

   
       
  第一塔門前のナーガの欄干   修理中の第一塔門   第二塔門 南側 乳海撹拌の破風  
       
    第三塔門南側   第三塔門前の広場   第五塔門  
 

 12:45 スロエン村の食堂でランチボックスの昼食。中身はおにぎり、煮物、とりの照り焼き、卵焼き。
食堂の前には煮込み料理の鍋が載ったガス台が10個も並び、おいしそうだった。

 ゆっくり休憩して、コーケー遺跡群に行く。 14:30到着

 コーケー遺跡Koh Ker はシェムリアップとプリア・ヴィヘア遺跡の中間にある大きな遺跡群である。
928年ジャヤバルマン4世は都をコーケーに移した。新都の造営に着手してブラサット・トムを中心に数々の寺院や貯水池を築いたが、20年後には再びアンコールへと遷都されたため、寺院群は密林に放置された。遺跡数は60とも云われるが、崩壊したままのものが多く、一番有名なのはブラサット・トム内のプランと呼ばれるピラミット型の建物である。

 私たちもプラサット・リンガという直径1mもある大きなリンガが安置された建物をみて、プラサット・トムへ行く。
大きな寺院で、レンガ造りの建物がいくつも並び、池があり、塔門をいくつもくぐるが、崩壊がひどくてよく分らない。しかしそれはそれなりの美があっておもしろい。

いきなり広場に出て目の前にプランと呼ばれる高さ35m、7段ピラミットの建物が現れた。正面に天辺まで階段が付いている(勿論立ち入り禁止)。
何の為の建物なのかよくわからないが、重量感があって美しくもある。周囲をぐるりと回る。周囲の壁の上にはきちんとリンガが立っている。
北側に今年1月に完成したばかりの木製階段が付いていた。さっそく上がってみる。
周囲四方全部、森林で埋め尽くされた平原。今は乾季で森林は緑いっぱいではないが、壮大な風景だ。 飽かず眺める。 

 午後になると暑さが身にしみる。プラサット・トムの前にある店に入って休憩。 ココナツジュースがおいしい。
元気回復。 ブラサット・クラチャップを見て、ブラサット・ニエン・クマウに行く。黒い貴婦人と云う意味で、火災で黒ずんだため名づけられたらしい。
中も真っ黒だった。ラテライトの姿の美しい塔である。

 
           
 

 

  コーケー遺跡群 プラサット・リンガ    プラサット・トム内を歩く   ブラサット・トム内のプラン  
             
      プランの新しくできた階段   プラン頂上から大森林を望む    コーケー遺跡群  プラサット・ニエン・クマウ  
 

 16:00出発。 明日行く予定だったベン・メリア遺跡はシェムリアップへの帰路途中にあるので、今日行く事にする。
道中、田畑だけでなく、マンゴーやバナナの果樹園、広大なゴム林などがあって、豊かな大地に恵まれている国だと改めて思った

 ベン・メリアBebg Mealea は外側の環濠、三重の回廊、十字型の中庭等、アンコールワットと同様の構造をもち、類似点が多いことから”東のアンコールワット“と呼ばれる。
11世紀末から12世紀初めに建立されたらしいが、現在、遺跡は深い森の中に埋もれて崩壊が進むままにされている。
遺跡発見当時の姿を目のあたりにできるのがこの遺跡の醍醐味、と案内書に書いてあったが、いやーもー、本当にインパクトが強かった。
ガラガラに崩れた石の山、建物を押しのけるように成長した大木、所構わず石をがんじがらめにして伸びる木の根っこ・・・
夕日の中で見るベン・メリア遺跡は殊のほか哀愁を感じさせる。観光客はほとんどいなくて、犬を連れて薬草を探しているおじさんと道連れになって、これも不思議な感じだった。

   
     
  ベン・メリア遺跡 回廊内部            
     
 

シェムリアップに帰る途中、夕日が田園風景に映えて美しく、18時頃、ゆるゆると平原の彼方に沈んだ。 

夕食は市内のカンボジア料理店”ラジャ・アンコール“。大きな店で店頭のエビやイカの炭火バーベキューが目をひく。
店内では若い男の人が木管のような楽器を奏でていた。
サラダはナッツがいっぱいかかって独特の甘みかかった味つけ、メインは牛肉いため(これも甘い)とサフラン・ライス、デザートは蓮の実入りライスプディング。

今日も盛りだくさんの一日でした。

 
  2月22日(土)  アンコールワット ⇒ バイヨン ⇒ オールドマーケット ⇒ マッサージ ⇒ アプサラダンス鑑賞  
                         
 

 朝、5:30に目が覚める。ゆっくりコーヒーを飲んでまた一眠り。快調である。
出発は8:30。玄関前にいきなり放牧に出かける牛5頭が現れた。白いおだやかな顔つきの牛。ホテルの周りはドメスティックな農村なのだ、とあらためて認識。

 
 

 アンコールワットに向けて、前回と同じセムリアップ川沿いの道を行く。
子供病院のまわりは親子連れでごったがえしている。 とうとう見学しなかった博物館の前を通る。やはり残念である。

今日は土曜日なので、アンコールワットのまわりは大変な混雑ぶり。
土曜日はバスで来るベトナム人観光客が多いと云うが、周囲はやたら韓国語が飛び交っていて、ここは韓国かと云いたくなる程・・・。
今日は仏様の日なので第3回廊には入れないそうだ。仏様の日は月に2回あるらしい。
第一回廊に入って西面北側のラーマーヤナのレリーフをじっくり見る。
美しいデバターの胸が触られすぎて黒光りしているのがおかしい。

     
    参道から見る祠堂   第一回廊のデバター  
 

 アンコール・トム バイヨンに行く。
 東門テラスから第一回廊に入り、今日は南面東側のレリーフを観た。ここにはクメール軍がチャンバ族に大勝したトンサレップ湖での水上戦の様子と、炊事、狩り、出産、大工仕事等日常生活が細かく描かれていて、とてもおもしろい。バイヨンでもっとも見ごたえがある、との評価にもうなずける。
上部テラスに行き、再び多くの仏の微笑に囲まれる。それにしてもすごい人の群れで押すな押すなの大盛況。でも仏の威力のほうが強くて、やっぱり感動せずにはいられない。
 人の少ない北門から退出した。

 
           
      バイヨン東門から第一回廊へ   第一回廊南面東側 チャンバ族とトンレサップ湖で水上戦    
           
      第一回廊南面東側 日常生活の様子   最も有名な観世音菩薩  
   市内に戻り、お菓子屋さんに寄る。カンボジア伝統菓子、ノム・トム・ムーンを店頭でお姉さんが焼いている。
店の中はお土産用のお菓子がいっぱいあったので、試食に励んだ。 日本の駄菓子っぽい味だ。

オールドマーッケットに行って、屋台でドリアンを買って食べた。全然臭くなく、ねっとり甘くておいしい。絞たてサトウキビジュースも飲んだ。
30分の自由時間。(綿の伝統的スカーフ、クロマーを買った)

ランチはマーケットの中のイタリア料理店“イル・フォルノ”。朝食を食べ過ぎたせいで、お腹がいっぱい。本格的なおいしいピッツアも少ししか食べられなかった。
最後のチョコレートムースは別腹でペロっと食べてしまったけど。

 
   
店頭でノム・トム・ムーンを焼いてる ドリアンの屋台 オールドマーケットの中      
 

13:30~15:20 はホテルでお昼寝タイム。

16:00 ”チャイ“という店に行き、マッサージを2時間もしてもらう。2階の部屋に入り、健康診断の時に着るような衣服に着替える。東京に本店があるそうで、日本語の説明が置いてあった。タイマッサージに日本の指圧をミックスしたようなマッサージを女の子が足から腕、背中、頭まで全身にしてくれた。私は鈍感で、その効果の程はよく分らなかったけど。

18:30 川のほとりのカフェ・モイモイというオープンカフェで夕食。最後にコーヒーを飲む。濃厚な不思議な味だった。

19日の夜、センチュリーホテルで見たアプサラダンスがとても美しくて気に入ったので、もう一度見たいと思い、ナットさんに劇場の予約を頼んだ。
今夜、クーレン・レストランに予約がとれたそうだ。行ってみると、500人は入れそうなオープンエリアのビュフェ式レストランで、満席状態だった。
前の方の良い席をナットさんが取ってくれたので本当にありがたかった。後ろの方は舞台が見えないんじゃないかと思うけど皆食事をしながら見ている。
演目は前と一緒だが、ダンサー、楽団のレベルは大分高い。存分に楽しんだ。 カンボジアのうどん、クイティウをナットさんがプレゼントしてくれて、稔、大喜び。
最後のあいさつの時は二人で舞台に上がって記念撮影をしてもらった。本当にいろいろよくしてもらって、感謝、感謝である。

21:00道路のあちこちで工事をしていて通行不可の場所を迂回しながら、ホテルに帰る。

 
       
  民族舞踏 ココナッツダンス   民族舞踏 漁師の踊り      
       
  アプサラダンス   アプサラダンス      
2月22日(日) シェムリアップ 11:30発 ⇒ 広州 15:20着(CZ3054)  17:30発 ⇒ 関空 22:00着(CZ393)  
                         
 

 今日は帰国の日。荷造りを済ませて、7:00朝食。その後一時間ほどベッドでくつろぐ。 庭の青葉、プールの水の色が殊のほか美しい。これでお別れだ。

短期間ではあったがギュッと煮詰めたような中身の濃い旅行だった。

9:20 空港に向けて出発。10:00到着。出国手続きはスムーズに終わり、カフェラテを飲んで、アンコールワットの絵葉書を買う。

14:40広州到着(時差1時間)。お食事処で海鮮麺を食べる(一人前1350円位)

出発が30分程遅れて、関空到着も22:20になった。蛍池行きバスの最終に間に合わない。南海電車で難波に出て、新大阪からタクシーに乗って帰った。 
1:00 無事家に到着。  めでたし、めでたし である。