2014年6月28日~7月5日  スリランカ旅行
参加者  稔・ 範子・ マキ・ 竹本 
6月28日(土)   伊丹8:00発 (JAL) 成田9:20着 ・ 13:20発 (スリランカ航空) コロンボ19:00着 ⇒ ニゴンボ

 

成田から再び大阪上空を越え、バンコックを通過して、10時間のフライトの末、19:00コロンボColombo到着 。飛行時間は10時間、結構遠い。
空港ではイー・ツアーズ(ヤスミントラベルズ)のガイドさん、アーリさんが待っててくれた。

バンダーラナーヤカ国際空港はコロンボの北、ニゴンボNegonboの近くにある。車で30分走って、ニボンゴのジェットウイング・ラグーンという海に面したリゾート型ホテルに到着した。

6月29日(日)    ニゴンボ ⇒ アヌラーダブラ遺跡 ⇒ ダンブッラ・ヘリタンスガンダラマ
7:00 海沿いに造られたコテージレストランに朝食を食べに行く。
ワッフルにサワークリーム、葉っぱに包まれたライスプディング、エッグホッパーという目玉焼きの器に盛られたベーコンとか、
変わったものを食べた。 パンもジュースもフルーツも,何もかもおいしい。

8:30出発。ニゴンボの漁港を通り、幹線道路を海岸沿いにひたすら走る。

コロンボの北35kmにあるニゴンボNegomboは古くから港町として繁栄した町であり、
現在はスリランカ最大の漁港でもあるという。
国際空港に近いので、近年リゾートホテルが続々と建てられ、大きなリゾートエリアになった。
ただし、オールドタウンとリゾートエリアはは完全に分離している。
港には小型の帆船がいっぱい停泊していた。漁船なんだろう
11:30 プッタマラという海沿いの町で休憩。穏やかな海を眺め、レストランで紅茶を飲む。 ニボンゴの漁港

ここから内陸部に入り、13:15 ツーリスト・グループ・リゾートというビュッフェ形式のレストランで昼食にする。
湖のほとりに立つ観光客用レストランで、涼しいオープンカフェは広い庭の向こうに湖が広がっていて、美しい景色だ。ビールでリラックスする。
ずらっと並ぶ料理は種類の違うカレーのみ、コーヒー紅茶とデザート付きで1000RS。 おいしかったけど高い。 明日はもうすこし安食堂にしよう・・・

 14:30 アヌラーダプラ遺跡地区到着。
アヌラーダプラAnuradhapuraは、紀元前380年シンハラ族の王国の首都ととして造られた。
BC3世紀 インドのアショーカ王の息子によって仏教が伝えられ、ブッダガヤの菩提樹の分け枝がもたらされ、王は手厚く仏教を保護した。
以降仏教はここからスリランカ全土へ、さらに東南アジアへと広がって行く。

その後タミル人の侵略に苦しみ、何度も敗戦掠-剝奪、勝利再建をくりかえすが10世紀シンハラ王朝はついにアヌラーダプラを放棄するに至る。
この1000年以上にわたる王宮跡、仏教遺跡が 南北5km、東西2km という広いエリアに散らばっているのがアヌラーダプラ遺跡である。
今の暑い時期には、クーラーのきいた車で巡らないと到底無理。

まず ジェータワナ・ラーマヤ に行く。
3世紀に建てられたレンガ造りの大塔で高さが122m、土台は113mもあったといわれる。
現在の高さは70m、巨大な大塔である。
境内の下でクツを脱いでから上がる。
巡礼者が大勢、白い衣を着て蓮の花を持ってお参りに来ている。
ユネスコによって修復作業が行われている遺跡であると同時に、
ここは未だに生きている聖地なのだ。

次にクッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)という僧侶の沐浴場に行く。
立派な沐浴場だ。当時は近くの池から水を引き、水田に流していたという。
横の通路では売店が並び数珠や小さな仏像を売っていた。

土産物屋の並ぶ赤土の道を歩いてサマーディ仏像に行く。瞑想するブッダ像。
横に灯火と線香の煙が立ちのぼっている。
4Cに造られた当時は菩提樹が背後に繁り、仏陀がブッダガヤで悟りを開いた姿そのままっだたそうだ。  おだやかで静かな姿が安らかでとても魅力的だった。

               ジェータワナ・ラーマヤ
       
      クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)という僧侶の沐浴場    ジェータワナ・ラーマヤに向かう巡礼の人々   お供えの蓮の花を買う
   
   

サマーディ仏像 (瞑想するブッダ像)             

  アバヤギリ大塔

次にアバヤギリ大塔へ行く。
 BC1C ワッタガーミニ・アバヤ王によって建立されたこの大塔はかつてあったスリランカの大乗仏教の総本山である。
レンガ造りの大塔の高さは75m、建立当時は110mとルワンウェリ・サーヤ大塔と同じ高さがあったと云う。
 12Cに上座部仏教派が勢力を伸ばし大乗仏教との勢力争いが激化した。時の王は上座部仏教で国内を統一し、
以後スリランカから大乗仏教は姿を消すことになる。当時、大塔は信仰の対象として、権力の証として数多く造られた。
アバヤギリ大塔は草ぼうぼうのまま放置されていたのを最近修復したらしい。
大きなお椀型の大塔は均整がとれていて美しい。
階段の下、両側にお参りのしるし紅白の布をくくりつける小屋が立ち、階段の上にはかつての拝殿の柱が並び、
仏旗がひるがえっている。本堂には赤い衣を着た涅槃像が横たわり、蓮の花が供えられていた。
壁に大塔の建設戯画が描かれていておもしろかった。

                    アバヤギリ大塔の本堂

次にラトゥーナ・プラサーダ方面に行く。林の中に宮殿跡、僧院跡が土台と柱だけの姿で点在している。大きな僧院の飯場、大広間のスケールに驚いた。
象の池を通って王宮跡を通り、クイーンズ・パビリオンの有名なムーンストーンを見に行く。石門の階段入口にあるムーンストーンは柵で厳重に保護されていた。
ここでは環の中に4種類の動物が見られるが、時代を経るとヒンズー教の影響で牛がはずされるようになる。

      ムーンストーンの一番外側は炎の輪:人間の世界とそこに渦巻く欲望を表す
      その次が4種の動物の輪:生命の力と活力を表す:象が誕生、馬が老齢、ライオンが病、牡牛が死。すべてで輪廻を表す。
      その次は、花の輪:愛する心を表す。その次は、花をくわえた鳥(ソン):純潔を表す。ここで人は命の意味を知る。
      最後に中心の蓮の花:天国を表し、死後、ここにたどり着く と言う意味。

王宮には石の土台と柱しか残っていないが、入口のガードストーンはスリランカで一番美しいとされている。ガードストーンは入口から悪魔が入るのを防ぎ内部の本尊を守っている。
兵士は蛇を背に左手に壺(吉祥)右手に花(繁栄)を持つ。足元に居るのは福の神クベラの使い。威厳ある姿が印象的だった。

   
    僧院の飯盛器 王宮入口のガードマン クイーンズ・パビリオンのムーンストーン     

16:00 暑い! 汗だく! 疲れた!  茶店で休憩。  ココナツジュースが心底おいしい。

元気回復して気を取り直して、トゥーパーラーマ・ダーガバを覗き、
     (アヌラーダプラ最古のもので、仏陀の右鎖骨が収められているという。BC3Cに建立。1840年に再建された。
     石柱が多数残っているが、ダーガバに屋根をつけるための物だったらしい)
ルワンウェリ・サーヤ大塔に行く。
真っ白に塗られた大塔は沢山の象の彫刻が並ぶ石門に守られている。
BC2C,ドゥッタガーマーニー王(タミル軍の侵略を追い返した英雄)が建立した。高さ55m、直径80m、建立当時の高さは110mもあったと云う。
水泡を模した覆鉢型の白い大塔は、広い石貼りテラスの中央、煉瓦と石による3段の基壇の上に立っている。
ここはアヌラーダプラ遺跡の中心に位置していて、ここからスリー・マハー菩提樹までが最も聖なる場所、参拝の中心であり、大勢の信者がバスで来ていた。
古寺巡礼みたいな雰囲気だ。みんな白い服なのが清々しい。境内にも信者の団体が大勢たむろしている。
大塔の横の仏堂の廊下におおらかな仏が何体も並び、その表情の美しいこと、この上もない。大いに癒される。 もしかしたら私、仏教徒かも・・・。

お堂の中は新しい仏様とともに大王の彫刻が安置されていた。人気の英雄らしく境内の白い館にも大王と妃の像が収められている。

ルワンウェリ・サーヤ大塔の横の広い道路を歩いて(1.2km)スリー・マハー菩提樹へ行く。道の横で火を焚き大なべでふるまいの炊き出しをしている人達がいた。

途中、ローハサ・プラサーダ(黄銅宮殿)跡を通る。
おびただしい石柱の数だ、
当時は3階建ての堂々たる宮殿だったそうだが。

スリー・マハー菩提樹はBC3C,インドのアショカ王の王女によってもたらされたブッダガヤの菩提樹の分け木である。
現在に至るまで大切な信仰対象として保存されてきた。

目の前にするとこれは予想以上の大木だった。ただし、2000年以上の樹齢部分は一部の枝のみで、黄金の柱に支えられている。
19c、野生動物から守るために周囲に石台や鉄柵がつくられた。

白い階段を上がって、お堂に参拝して、境内に降りる仕組みになっている。巡礼者は仏前に蓮の花やお供えを捧げ、境内の鉄柵に旗を結び、座り込んで熱心に祈りを捧げている。

その横に沢山のサル軍団が供物の蓮の花を食べながら座り込んでいて、お互いに無関心だ。このサルはスリランカ・ハイイロオナガザルといい、顔が黒く、尾が長い。頭が尖っているのが特徴だ。

   

  ルワンウェリ・サーヤ大塔の境内   ルワンウェリ・サーヤ大塔の外壁
   
      大塔の横の仏堂の廊下
   
    境内で祈る巡礼者 スリランカ・ハイイロオナガザル
    スリー・マハー菩提樹                  

 17:40 南のはずれにあるイスルムニヤ精舎へ行く。
ここはアヌラーダブラでも最古の寺院で、岩肌を彫るようにしてお堂が造られている。

池のほとり、お堂に登る階段横の岩肌には端正な顔の神様と象の群れが彫刻されている 。岩のくぼみに銅貨がいっぱい乗っていて、階段から投げて幸運をもらうのだそうだ。
稔が投げてみたが案外難しい。横でヤングマンが投げたら見事に乗ったので、おもわず拍手してしまった 。
お堂の中には堂々たる体格の仏像がガラス戸の中に鎮座していた。

横の本堂には大きな涅槃像、瞑想するブッダ像等が安置されている。いずれも極彩色。東京浅草寺の援助で近年塗り替えたのだそうだ。天井の模様も美しい。

宝物館には寺院北側の王宮跡で発掘された”恋人の像”と”王族の像” の石彫がある。
BC2世紀の王、ドゥッタガーマニー王の息子サーリヤ王子と恋人マーラの像だという。群を抜いた秀作だった。写真撮影禁止なので絵葉書を買った。

イスルムニヤ精舎は通称ロック・テンプルともいわれ、大塔も岩の上に築かれている。寺院の裏から岩の上に登れるようになっていて、頂上からは町の展望が広がる。

     

     
      イスルムニヤ精舎 イスルムニヤ精舎 岩壁のレリーフ 恋人の像        
           
      イスルムニヤ精舎本堂の涅槃像 イスルムニヤ精舎本堂の仏陀 岩の上の展望台      

18:00 今日の観光はこれで終わり。
とにかく暑かった。車のクーラーがありがたい。ダンブッラへと一路走る。

今日のホテルはヘリタンス・カンダラマ。スリランカ一有名な建築家ジェフリー・バワの建築で、ここに来た観光客は皆泊まると言われるほど有名なホテルだ。
私たちはここに3泊して遺跡地帯をめぐることになっている。

ダンブッラの町のモダンなスーパーに寄って、ミネラルヲーター、オレンジジュース、ビールを買って、10km東にあるホテルにむかう。

20:00ヘリタンス・カンダラマ到着。岩山に接して造られた全長968mの巨大ホテルだ。
フロントからロビーに抜ける通路は片側が岩肌そのもので、そのシンプルかつ大胆なデザインにど肝を抜かれた。
ロビーはオープンスペース、窓の外にプールが広がる。プールは下のガンダラマ湖と一体化するように設計されているので解放感抜群。
蓮の花とアボガド・ジュースをふるまれて、皆、ご機嫌。

夕食は5Fの喫茶室でビールとサンドイッチ、ビーフサンドを2人で半分ずつ食べて丁度よかった。  横の壁は岩むきだし、前方に湖が広がって、気持ちいい。

630()       ポロンナルワ遺跡 ⇒ アーユルベーダ・スパ

ぐっすり朝の5時半まで眠った。窓を開けたらベランダに猿の親子が居た。
スリランカ・ハイイロオナガザルだけれどスリー・マハー菩提樹境内の猿とちがって顔はピンク色だ。
猿が部屋に入っていたずらをするので、窓を開けっ放しにしないように、という注意書きがあった。納得。
エアコンのおかげで朝日が部屋に入り込むのも快適、窓からカンダラマ湖のむこうにそびえるシーギリヤ・ロックが見える。

7:00朝食。食堂は6Fのビュッフェ。入口近くの階段に鉄製の大きなふくろうがのっていてど肝を抜かれる。
ラキ・セナナヤケ作、迫力満点。
食後、戸外で記念撮影をして、ホテル内の彫刻、インテリアを見て回った。

部屋からガンダラマ湖を望む

8:00 ボロンナルワ遺跡にむけて出発。10:30到着。

ポロンナルワPolonnaruwaは10-12世紀にシンハラ王朝のあったところだ。
10C末,シンハラ王朝の首都アヌダーダプラはインドのチョーラ王朝に征服された。
やむなくシンハラ王は首都をポロンナルワに移し、灌漑用水池パラークラマ・サムドラや多くの建物を建設して仏教都市として開発した。
ポロンナルワは仏教の中心地として栄えたが、13C再びインドの侵略をうけて、王朝は島の中央部に遷都することになる。

その後、ジャングルの中に埋もれていたポロンナルワは、20Cにはいって発掘されたという。

   

まずは一番南にある立石像と ポトグル・ヴィハーラに行く。

立石像は髭をはやした精悍な男の石像でひとりポツンと立っている。
ポロンナルワの王とも云われるが諸説あるらしい。

ポトグル・ヴィハーラはかつての図書館。
ヤシの葉で出来た経典が保管されていたと言う。
4つの小さな仏塔にかこまれた中央は円形状になっていて
、ここで仏典の朗誦が行われたらしい。

    立石像 ポトグル・ヴィハーラ(図書館)                
   

    パラークラマ・バーフ一世の宮殿跡 宮殿内の閣議場

パラークラマ・バーフ一世の宮殿跡へ行く。
かつては7階建て、50の部屋を持つ壮大な建物だったが、現在は3階部分までしか残っていない。しかし厚さ3mもあるレンガの壁は迫力満点、王の権力を偲ばせる。
東側に集会場(台座の象のレリーフが魅力的)、北側には大臣たちの石柱が建つ閣議場がある。ここのレリーフも見事だった。

次にシヴァ・デーワーヤラNo1というヒンズー教寺院。13Cの建物で、侵略したインド人によって建てられたとも云われる。道内に立派なリンガが設えてあった。

宮殿の北側にあるクワドラングルへ行く。
クワドラングルとは四辺形の意味で、城壁に囲まれた方形の庭に11の建物が密集している。ここは仏歯寺のあった処でポロンナルワの仏教の中心地だった。

まず、トウーパーラーマに入る。壁の厚さが2mもある重厚な建物はいまだ屋根がしっかりしているので、堂内は薄暗い。
奥にかなり摩耗した仏陀が3体安置され灯明が灯されていた。朝と夕に太陽光線が入り仏陀の顔を照らす仕組みだとか。

次に11Cに建てられたアタダーゲ(仏歯寺跡)、蓮の茎を模った柱が8本立つラターマンダバヤ、12Cに建てられた仏歯寺跡ハタダーゲを見て、

一番大きくて目立つ円形の仏塔、ワタダーゲに行く 。
四方の入口にはムーンストーンとガードストーンが設けられている。ムーンストーンは輪廻を表すが、ここではヒンズー教の影響で牛の姿がない。
かつて人々はこの上で足を洗って仏塔に入ったそうだ。台座の周囲、階段も丁寧なレリーフで飾られている。
仏塔は7C頃の物で、古くは僧院の一部だった。中央のダーガバはニッサンカ・マーラ王が12Cに造ったという。

ハタターゲの東側にヤシの葉の本の形をした石碑がある。ガルボタ(石の本)だ。
長さ9m幅1.5m厚さ45cm。碑文にはインドの侵略、廻りの小国との関係、王の賞賛等が書かれているそうだ

     
      クワドラングル/ トウーパーラーマ クワドラングル/ ラターマンダバヤ クワドラングル/ ハタダーゲ
     
      クワドラングル/ ワタダーゲ クワドラングル/ ワタダーゲ内部 クワドラングル ガルボタ(石の本)

疲れて、頭がふらふらになってきた。
頑張ってもうひとつ、ランコトゥ・ヴィハーラ(金の尖塔)を見に行く。
12C,ニッサンカ・マーラ王が建てた高さ55mの大きな仏塔だ。
アヌラーダブラのルワンウェイ・サーヤ大塔をモデルに造られ、かつては尖塔の部分が金で覆われていたとか・・・。

ここで休憩。売店でココナッツジュースを飲む。特別に冷えてなくてもおいしい。
皮を割って、プルプルの中身も食べて、またまたおいしかった。

それにしてもこの広い遺跡を自転車で回る人がいるとは恐れ入った。

気を取り直してガル・ヴィハーラに行く。   大きな4体の仏石像が並んでいる。
左から瞑想する座仏像(高さ4.7m)、壁龕内の仏像(ブラフマンやヴィシュヌに囲まれている)、蓮座に立つ憂いの立像(高さ7m)、右側の涅槃像(全長15m)の4体。
いずれもなだらかな流線型の体、素朴で穏やかな表情がこの上もなく心地いい。

 仏像を見てこれほど癒されるとは思いもしなかった。

真っ白い大塔、キリ・ヴィハーラを通ってランカティラカに行く。
クワドラングルの北にあるランカティラカは、13C、パラークラマ・パーフ3世によって建てられた、高さ17・5m、幅18m、奥行き52m の巨大な寺院である。
奥には頭のとれた13mの巨大な仏像が建っている。大きさでど肝を抜かれるが、細部も見逃せない。
入口に彫られたガードマン、マカラや天女が美しく、外壁に残る寺院のレリーフも興味深い(シンハラ建築のゲディゲという様式だそうだ)

     
      ガル・ヴィハーラ/ 瞑想する座仏像   ガル・ヴィハーラ/ 壁龕内の仏像
     
        ガル・ヴィハーラ/ 立像 ガル・ヴィハーラ/ 涅槃像
 
 
    ランカティラカ       ランカティラカの巨大な仏像   ランカティラカ外壁に残る寺院のレリーフ

蓮の花を模った可愛い沐浴場”蓮の池“を通り過ぎて700m、  北端にあるティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)に行く。

ティワンカとは3段屈のことで、ここに置かれている仏像は腰と首が3方向対称に曲がっている。しなやなな肢体がきれいで、頭のないのが残念だった。
ボロンナルワは13Cにインドの侵略を受けて荒廃した。パラークラマ・バーフ3世は都の復興を願ってここに壁画を描かせた。
釈迦の修行や仏教の教え、奥には本尊の供養者、天神デバターが描かれていて、薄暗い壁に浮かび上がる繊細な描画は、アジャンタの壁画に勝るとも劣らない美しさだった。

建物は修理中で鉄骨におおわれていたが、外壁の漆喰に覆われたレリーフもなかなかのものだった。
 
ティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)の仏像 ティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)の壁画              
     

13:30 これでボロンナルワ遺跡の見学は終わり、 ランチタイム。 今日はカレー定食とビールとマンゴー。

15:00 アーユルベーダ・スパに行く。 広い敷地内に施設が点在している。
簡単な問診の後2人づつ部屋に入り、1時間の全身オイルマッサージ、30分のシーロダーラ(額に油を少しづつ垂らす)をうける。
ひたすら気持ちいい。特にシーロダーラは抜群、思わずうとうとしてしまう。
アーユルベーダに使われるオイルは、何種類もの薬草を混ぜて何日間も煮込んでつくられるそうだ。
その後20分のハーブスティームバス。薬草を床に敷いたサウナにマキと竹本さんと入る(サウナの嫌いな私には地獄)。
シャワーを浴びて東屋でハーブティの接待を受ける。体がすっきりして疲れが吹き飛んだ。ご機嫌でホテルに帰る。

途中道端でランブータンを買った。ランブータンノシーズンは短く、出会えたのはらっきーだった。新鮮でおいしい。

ホテルに帰り、今日はシャワーも浴びたばかりなので、洗濯をしただけでのんびりする。
20:00、6階のビュッフェに出かけて夕食。4人とも食欲旺盛、至って元気。

ホテル7Fからカンダラマ湖を覗む

7月1日(火)    シーギリヤ・ロック ⇒ ろうけつ染工場 ⇒ ダンブッラ石窟寺院 

 

5:00 起床。 水着に着替えて、竹本、稔と3人で5階のプールに行く 。

水は思ったより暖かい。中央にロープが張られていて、その後ろは深くなっている。
誰一人居ないので私たち3人のんびり泳いだり、縁につかまって景色を眺めたりして遊ぶ。
朝日が昇りはじめた湖は神秘的で最高の気分。

部屋に帰りシャワーを浴びて、7:00朝食。8:00出発。

1時間程走ると、小川で象が水浴びをしていた。
ここで象に乗ってシーギリ・ヤロックを眺める事にした。(40分 3500RS)

沐浴を終えた象に4人がかりで座席を設えてくれる
高い台の上から象に乗り、10分ほど道路を歩いて湿原地帯に出る。
シーギリヤ・ロックが真近に、遮るものもなく聳え立つ景色は素晴らしかった。
象使いにカメラを渡すと、記念撮影をしてくれるサービスもうれしい。
出発地点に戻り、象にバナナのご褒美をあげた。

10:15 シーギリヤ・ロック入口に到着。

シーギリヤ・ロックSigiriyaRockはジャングルの中に突如聳える岩山で、
古代から仏教僧の修験場所として使われていた。

459年 アヌラーダブラを統治し広大な貯水池を建造したダートゥーセーナ王の長男、
カーシャパは父から王権を奪い、この岩の頂上に王宮を築いた。
しかし11年後インドに亡命した弟に滅ぼされ、この王宮は仏教僧に寄進された。

その後、シーギリヤ・ロックはジャングルの中に埋没していたが、19世紀に発掘された。

 

シギリヤ・ロックが見える    
             
宮殿は深い堀で囲まれていて、かつてはワニが住んでいたそうだが、今はピンクの蓮の花で覆われていた。
門を入ると”水の広場“と呼ばれる公園が広がり、岩山の入口まで真っ直ぐな道が通っている。王の沐浴場を越えてドライ・シーズン・パレスが左右に広がる。
高所から地下のパイプを通して水を引く設備が整っていて、円形の穴の開いた石板は噴水だったという。これらは5Cに造られたというから驚きだ。

たくさんの穴がほられた説教の岩場、仏陀の胸像がみられる石窟寺院を通って、石のトンネルをくぐり、いよいよ王宮に通じる石の階段を登る。
登ること20分、かつては岩山の周囲に回廊があり、回るように登って行ったらしいが、今はここから鉄の螺旋階段になる。
眼下にどこまでも続くジャングル、真下に水の広場が広がり、風が気持ちいい。
     
      水の広場 急な階段を登る   ミラーウオール

階段を登るとオーバーハングした岩壁にシーギリヤ・レディと呼ばれる有名なフレスコ画が現れる。

鮮やかな彩色、表情の繊細さ、豊満な肉体に驚いた。とても美しい女性たち、彼女らが何者かは諸説あるらしいが、裸の女性のほうが階級が上で、着衣の女性は侍女だそうだ。
当時は500人の美女が描かれていたが、現在残るのは18人、風雨にさらされたのと戦さで剥がされたのが原因らしい。
外側に保護のカーテンが吊るしてあるがこれって本当に効果あるのだろうか・・・

シーギリヤ・ロックの下の回廊の壁はミラーウオールと呼ばれる。
この壁は、レンガを芯に漆喰を塗り、その上に卵白とハチミツと石灰を塗って、表面を磨きあげて、鏡のような輝きと光沢を持つ。
ここには王たちの叙事詩、シーギリヤ・ロックを称える詩が彫られている、というが私には分らなかった。

眼下のジャングルは益々雄大だ。
王宮の入口に行く手前に住居跡があり、その後ろに巨大な石が置かれていた。 敵が来たとき石をころがして攻撃する仕組みだったという。

   
            シーギリヤ・レディ          
   
                             

11:15 ライオン・テラスと呼ばれる王宮の入口に到着。
巨大なライオンの爪が入口の両側にある。かつては足と頭部があって、口を開けたライオンののどへ入って行く趣向になっていたのではないかと云われている。

またまた10分間、急な鉄の階段を登る。稔、つらそう。

頂上は1.6ヘクタールあり、王宮、兵舎、住宅、ホール、プール跡等がある 。 玉座もあった。
敷地は段状に区画され階段で繋がっていて、想像以上に広い。 まるで東洋のマチュピチュ、はたまた天空の城ラピュタか!!!

ジャングルの真っただ中、垂直にそそり立つ赤茶けた岩の上は風の通りがよすぎる。 孤独の王宮はやはり狂気じみていると思った。

   
      王のテラス 山頂の王宮跡  
   
    王のプール   玉座

12:15 のどがからから。降りてきて売店でスプライトをがぶのみした。

ダンブッラ方面へ30分程走って、ろうけつぞめの工場へ寄った。可愛い女の子がろうけつ染めの行程を丁寧に説明してくれた。

13:30 やっとランチタイム。
迷った末、やはりビュッフェにする。昼間はカレーがおいしくて幸せ。なにはともあれ、ビールで乾杯、もうくせになっている。スリランカのビールは軽くてあまり酔わないのがいい。
途中で中国人の団体が入ってきた。若い人が多く、その食欲の旺盛さに目を見張ってしまった。大皿に盛る料理の量がすさまじい。

14:30 ダンブッラ石窟寺院に行く。  ダンブッラの石窟寺院はBC1世紀につくられたスリランカ最大の石窟寺院である。

ワラガムバーフ王はタミル軍の侵略を受けて仏教徒に助けられここに身を隠した。その後タミル軍を破り王座に返り咲いた王は感謝をこめてここに寺院を建てたという。
その後ポロンナワル朝、キャンディ朝の王によって整備、修復が行われ、それは現在も続けられている。
ダンブッラの岩山の頂上付近にある洞窟に、数多くの仏像が彫られ極彩色の壁画が描かれ、それが2000年もの間イキイキと信仰されている様をみると、驚かずにはいられない。
この重厚な時間の積み重ねが一番の魅力だった。

入口はゴールデンテンプルの横。この寺院は中国からの寄進だそうだ。
ライオンののどが入口になってて、上には黄金の大仏像が座っている、横には赤い衣の僧侶像の行列・・・ちょっとテーマパークみたい・・・
寺院の入口まで坂道や階段を登る。途中、サボテンの林があったり猿の軍団に出会ったりして退屈はしないけど、またまた息が切れる 。

門の前で靴を脱ぐ。境内には5つの寺院が大きな岩の下に並んでいた。順番に見ていく。

第一窟は、デーワ・ラージャ・ヴィハーラ(神々の王の寺)と呼ばれる、最古の寺院。
中に入るとまず、壁と同じ石で彫られた全長14mの寝仏像が目を引く。これは寺院最大の仏像である 。
全身が黄金色で染められているが、足の裏は赤くて花火のような模様が描かれている。スリランカでは涅槃像の足の裏を赤く染めるそうだ。
そのほかに5体の仏像が安置されていて、壁一面に釈迦と弟子の壁画が描かれている。 素朴で少しユーモラスな描画だ。

ゴールデン・テンプル
   
               第一窟 全長14mの寝仏像    

第二窟は、マハー・ラージャ・ヴィハーラ(偉大な王の寺)と呼ばれるダンブッラ最大の洞窟で、幅50m 奥行き25っもある。
偉大な王とはワッタガーミニ・アバヤ王の事だそうだ 。堂内には56体の仏像が安置されていて圧倒される。
広い堂内には仏塔が置かれていたり、天井からの湧水が滴り落ちて聖なる水として壺に貯められていたりする。
しかし最大の見所は壁から天井一面に描かれた壁画である。
仏陀の生涯からスリランカの歴史まで、びっしりと壁画で埋め尽くされていて見事だ。 いくら見ていても見飽きない。

   
    ダンブッラの石窟寺院 第二窟 仏塔 第二窟 寝仏像
   
      聖なる水の壺が奥にある 第二窟 天井画  

第三窟は、マハー・アルト・ヴィハーラ(偉大な新しい寺)と呼ばれる。
18C後半のキルティ・スリー・ラージャーハー王によって造られた。全長9mの寝仏像と57体の仏像が安置されている。
キャンディ王朝のスリー・ヴィクラマ・ラージャ・シナハ王の像も仏と並んで立っていた。 正面の坐像は天井から繋がる岩を彫ったものだそうだ。
ここの壁と天井も壁画で覆われているが、画筆はかなりマンネリ化している。

     
      第三窟 寝仏像 第三窟 岩を彫った座像  

第四窟は、パッツィーマ・ヴィハーラ(3人の王の寺)と呼ばれる。
キャンディ王朝の末期に造られた寺院で、比較的新しい仏像が多い。
この石窟はかなり狭い。
疲れて、注意力が散漫になって、もう、さらっと流してしまった。

第五窟は1915年に造られた新しい寺院だが、閉まっていて見れなかった。写真で見る限りではかなり現代的なお顔の仏様でした。

帰路に着く。
ゴールデンテンプルのはるか彼方にシーギリヤ・ロックが輝いていた。

第四窟 第四窟

ダンブッラのスーパーに寄って、夕食の材料を買いこむ。パン、ヨーグルト、コーンフレーク、チーズ、牛乳、ジュース。
途中でバナナ屋さんに寄る。アールさんがおいしいバナナを選んでくれた。いろんな種類のバナナがあって、味がみんな違うらしい。私たちにはさっぱりわからないけど。

17:00ホテル着。  また3人でプールに行く。
夕方は大勢の人がプールで遊んでいる。泳いでいるのはヤングだけで少しきまりが悪かったけど、めげないでプールにはいる。気分最高。
縁につかまって湖を眺めていたら、サファリの象が客を背中に乗せて湖の浅瀬を渡り始めた・・・絵になる光景だった。

19:30 部屋に4人集まって、ささやかなディナー・パーティー。 21:00まで楽しく談笑する。

72日(水)   ダンブッラ スパイス・ガーデン キャンディ(博物館・ダンス・ショウ・仏歯寺)

6:00 起床。 ベランダでオレンジジュースを飲む。間近に猿の親子が戯れていて可愛い。りすは夕方しか現れないようだ。樹木の間からいろいろな鳥の鳴き声が聞こえる。
8:30 チェックアウトして出発。

10:00 マーターレという小さな町にあるスパイス・ガーデンに行く。日本語の上手なガイドさんが出てきて庭を周りながら、スパイスの草木を一つづつ説明してくれる。
最後にスパイス・ティを飲みながら、天然ハーブの薬の説明を聞き、ショップで買い物をする。
バニラビーンズとかカカオ、グローブ、ナツメッグ、カルダモンとかの木を初めて見た。

30分程走ると道路沿いに大きなヒンズー教の寺院があった。ここは珍しく堂内へ入れるというので、寄り道をして入ってみる。
スリランカの仏教寺院もかなりカラフルだけれど、その10倍を上回るくらい華やかでにぎやかな神々の供宴が広がっていた。
サリーを着た信者たちがお参りに来てる。インド系の熱狂的な信者がいるみたいだ

13:00 キャンディの町に入り、眺めのいいレストランでランチ。今日は焼きそばと焼き飯を分け合って食べる。
マキはダウン気味で、白ごはんをもらってお茶漬けを食べていた。
ビールがのどにしみる。窓の外の景色を眺め、ゆっくり1時間も休憩した。

大きなショッピングモールの駐車場に車を置いて、キャンディ・マーケットに行く。 果物屋が軒を並べ、ありとあらゆる南国フルーツを売っている。
目を見はるような鮮やかさだ。  マンゴスチン、ジャックフルーツ、バナナ、マンゴを夕食に食べようと買った。
モールの地下のスーパで夕食の材料を買う。パン・チーズ・ジュース・カードと呼ばれる水牛ヨーグルト・上にかけるヤシ蜜etc。 皆、段々食欲がなくなってきている。

     
      レイク・ビュー・ポイントから町並みを望む フルーツ・マーケット ランブータン売り

キャンディ湖の南側の丘の上、レイク・ビュー・ポイントに行って湖の全貌と対岸の仏歯寺を眺める。

キャンディKandyは山に囲まれた盆地である。シンハラ王朝はインドからの侵入者に追われて遷都を続けたが、1474年にキャンディを首都と定めた。
以降1815年シンハラ王朝が滅亡するまで300年以上繁栄した。キャンディは日本で云えば京都・奈良みたいな古都である 。
緑豊かな趣のある町だけれど、中心街は結構な交通渋滞で、ここからでも車の行列が見える。 標高500mもあるのでコロンボよりは少し涼しい。

国立博物館、王妃の沐浴場跡を見てからキャンディアンダンスの会場、キャンディ・レイク・クラブに行く。

キャンディアンダンスは王朝時代の宮廷舞踏を中心に、スリランカ各地の民族舞踏を組み込んだもので、ショウとして構成されているが、年に一度の大祭、ペラヘラ祭でも踊られる。
民族舞踏は祭りの宗教儀礼から発展したもので、病気除け、悪魔祓いが目的だったそうだ。
太鼓の伴奏で踊られるダンスは通俗的で、陽気で元気、神社の神楽と似たおもしろさがある。内容を順番に見ていくと

     1. マグル・ベラ   幕開けはドラムの競演。太鼓は円筒形だが真ん中がふくらんだゲタ・ベラというもの
     2. プージャの踊り  仏陀に祈りをささげる姿を白い衣装に赤い帯の女性がドラムにあわせて優雅に舞う
     3. ラバンの踊り   長い棒の上に円盤をのせて回す、皿回しの踊り
     4. ラクッシャ・ナトゥマ(仮面の踊り)  ナトゥマとは踊りのこと。仮面をかぶって踊られる悪魔祓いの踊り。 歌舞伎の獅子舞のように頭をグルグル回すのがおもしろい。
     5. クル・ナトゥマ   豊作を祝う伝統的な踊り。村の娘たちが籠を背に担いで足に鈴をつけて元気に踊る。
     6. パンゼル・ナトゥマ   戦場に向かう勇士の踊り。ドラムとタンバリンの音に合わせて激しくとんぼ返りを繰り返す
     7. マユラ・ナトゥマ(孔雀の舞)  勝利を祈る踊り。孔雀のイメージを着た女性が美しく舞う。
     8. ギニ・シシーラ(ファイアーダンス)  火には悪魔を追い払う力があると信じられている。 2人の男性が松明の火を振り回して腕に押し付けたり口に入れたりする。
     9. ヴェスの踊り   ハイライト。冠をかぶり、きらびやかな衣装をまとった男性による華やかな悪魔祓いの踊り。 腰の白い布をひろげ誇示する動作がおもしろい。
     10. 太鼓の競演   5つの異なる太鼓の競演
            (フィナーレの挨拶があって、場所は舞台下に移る)
     11. ファイア・ウオーキング・火渡りの儀式   火のついた炭火の上を軽々と渡り歩く。古代インド叙事詩に由来するとか。

   
      プージャの踊り ラクッシャ・ナトゥマ(仮面の踊り) 皿回しの踊り
   
      孔雀の舞 ファイアーダンス ヴェスの踊り

1時間にわたる,華麗かつ純朴なショウだった。

18:40 歩いて仏歯寺に行く。 日に3回行われるプージャのときには仏歯の間が開帳されるというのでその時間に合わせた 。

 ものの本によれば、釈迦の死後歯は遺骨と同様にインド各地に分割されたという。
スリランカにもたらされたのは4Cのことで、スリー・メーガワンナ王によりアヌダーブラの仏歯寺に安置された。
その後、仏歯は王権の正当性の証として王朝の移動とともに移動し、キャンディに運ばれたのは1590年。
以降キャンディの仏歯寺は仏教の中心地として、最も重要な巡礼の地として現在に至る。
改修と増築を重ねて現在の寺院はシンハラ王朝最後の王が完成させたものである 。
1983年世界遺産に登録された。

火渡りの儀式

多くの信者に混じって寺院に入る。

金襴豪華な通路を通って広場に出る。
仏歯の間は2階にあり、すでに多くの人が蓮の花のお供えを持って行列していて、中央では信者の人々が座り込んで祈りを捧げている。

仏歯の間の通路に行列して30分程待って、やっと御開帳となる。
あまりの混雑に扉の中の仏歯の入った箱はチラッと見ただけで
よく分らなかったけど、金ぴかだった。
プージャのあいだ、1階の広間で太鼓と笛による音楽が演奏されていた。
この太鼓はキャンディアンダンスの太鼓とはまたちがって、音も大きくて迫力がある。

そのほかにいくつもの仏間がある。
ペラヘラ祭の時に使う仏歯の入れ物が置かれた図書館のような部屋、
壁画の美しい仏間、世界中から寄進された仏像が安置された部屋などを周る 。
最後に仏陀の生涯が描かれた白い広間を通って外に出る。
暗くてよく見えなかったが、建築の細部には凝った装飾がほどこされているようだった。
仏歯寺 金襴豪華な通路 仏歯の間の前で祈る人々
太鼓と笛による音楽の演奏 仏歯寺 仏間

19:45 ホテルにむかう。今日のホテルはガァビラ・ブティック・ホテル。  何処にあるのか、どんなホテルなのか、ミステリアス。

とにかく丘陵地帯を走ること走ること、二つも村を通り越して、ヌワラ・エリヤ方面に山道を1時間以上も走った。
幹線道路からはずれて崖っぷちの細い道に入る。横幅のあるバンの運転は大変、私たちもひやひや、マキはしきりに謝る。
さあ、何処かよく分らない山の中の行き止まりにホテルはあった。 全部で8室くらいの小さなしゃれたホテルで、宿泊客は私たちだけだった。

21:30 ベランダでまずは夕食。 部屋備え付けの紅茶を入れ、パン、チーズ、ヨーグルト、ジュース、ジャックフルーツを食べる。
大分標高が高いらしく涼しくて、とても楽しい夕食だった。

7月3日(木)   キャンディ 紅茶工場 ビンナワラ コロンボ

 朝起きてみたら、確かにここは山の上だった。 窓の下にキャンディまで続く低地が広がっている。
ベランダに皮のデザイン椅子やブランコ椅子が置かれ、昨夜使った石の腰掛もあって、快適に何日も滞在できるように造られている。
7:00 1階で朝食。きれいな手織りの壁掛けがかかり、庭に面した清々しいレストランだ 。
アボガドジュースが絞たてで格別においしかった。 あまりお腹が空いてなかったので、今朝はライスプディングで済ます。

食後、庭を散歩する。山側にアーユルヴェーダ用の施設があり、プールの横にヨガ用の小屋まである。
このホテルはどうやらヨーロッパ人向けのリラクゼーション・ホテルらしい、とやっと気が付いた。
若い女の人が散歩している。ホテルのオーナーでベルギ人だとか、美人だ。
皆の結論は、金持ちのアーティストがスリランカに魅せられて、自分の趣味で造ったホテル、というものだけど・・・・
広い敷地内に散歩道が造られていて、ブーベンビリヤに始まって名前を知らない沢山の花が咲いてとてもきれいだった。

ホテルの庭

 9:00 出発。  山道を下り、キャンディの町を通り過ぎて、まずは紅茶工場に行く。きれいなお姉さんが工場内を案内してくれた。 
紅茶を作る工程は 
1. 工場に運ばれた茶葉を長い台の上に並べて水分を飛ばし萎らす(萎凋)。
2. 次にほぐし、ふるいにかける(揉捻)。 
3. 何回か萎凋、揉捻をくりかえして、  4.高温多湿の中で茶葉の酸化発酵を促す。
5. その後、乾燥、クリーニング、等級分けされて、出来上がり。
知らなかったけど、お茶って随分手間がかかっているんだ。

別棟の2階でおいしいお茶をごちそうになり、売店で紅茶を買う。

 12:30 キャンディ郊外にあるビンナワラ到着。
車を降りるといきなり沢山の象の群れが道路を横切りだした。日に2回、象の孤児院から川に沐浴に行くのだそうだ。 圧巻!
早速、象の孤児院に行く。立派な施設で大勢の観光客で賑わっている。

ビンナワラの象の孤児院は親を亡くしたり、迷子になった子象を保護する施設で、1975年から始まった 。
現在、80頭の象が保護されていて、生育した象は寺院や象使いの元へ引き取られていく仕組みになっているという。

紅茶工場にて

まず野原で自由に草を食む一角に行った。
象は集団で行動する動物で、いくつかの群れに分かれ、小さい象を守るかのように間にはさんで餌を食べている。恰好の記念撮影場所、私たちもパチリ。
高い台の上からスイカを象の口の中に入れて食べさせるコーナーがあって、私と竹本さんでチャレンジ。 象があんまり大きな口を開けるのでちょっと驚いた。
また、柵の中の赤ちゃん象の頭をなでてみた。荒く生えた毛は予想に反してごわごわだった。
水遊びする子象、友達とじゃれあって遊ぶ子象、本当にかわいい。スリランカの人々も特別に象は好きらしくて、大勢来ていた。
赤ちゃん象にミルクをあげる時間が近づいて、囲いの外に行列する。
付添人の指導に従って一人ひとり哺乳瓶に入れたミルクをあげるのだが、あっという間に飲んでしまうので楽しむ余裕がなかった。

川のほとりのレストランでランチにする。20頭以上の象の行列が店の前を通って川に入って行く。
浅い川らしく、結構遠くまで自由に散らばって水浴びを楽しんでいる。
それを見ながらカレー定食を食べる。マキはスパゲッティを頼んだが美味しくなかったらしく、カレーのほうがまし、と言っていた。

遠足の小学生がやってきて、沐浴中の象を見学していた。皆可愛い。私たちに手を振って笑いかけてくる。

     
      お食事中      

子象

     
      赤ちゃん象にミルクをあげる 川まで町中を歩く 川で沐浴

15:00 コロンボにむけて出発。
途中で紅茶博物館に立ち寄った。イギリス統治時代の紅茶労働者の写真、古い道具の展示があって、感慨深かった。

道中すっかり眠ってしまった。気が付くとコロンボの近くらしく、大きな道路に車がいっぱい走っている。
市内にはいると交通渋滞は半端じゃない。何処でも都会は同じなんだと、ため息が出る。

ホテルを間違えてコロンボの南12キロのリゾート地、マウント・ラヴィニヤまで行ってしまったと、いうトラブルの後、コロンボ・シナモンガーデンズにあるホテルに到着。
ロビーに荷物を降ろしてほっとしていたら、支配人が予約日が間違っている、今日はフルブッキングで宿泊できないと云う。
皆愕然、マキは真っ青。サイトを検索して今日泊まるホテルの予約を始めた。結局、近くのブティックホテル、コロンボ・コートヤードに決定。

22:00 やっとホテルの部屋に落ち着いた。皆で寄り集まって、今日の夕食はお茶漬けとパパイヤ。
マキが白いご飯とホットウオーターをルームサービスで頼んでくれた。カップとスプーンも付いてきたので、ゆっくりと食べられた。おいしくてしあわせだった。

74日(金)    アーユルベーダ ショッピング バンダーラナーヤカ国際空港

7:30 朝食。 レストランは別棟の3階にある。 昨夜の食事が遅かったので朝は軽く済ませて、帰国の準備、荷造りをする。

 9:00 もう一度アーユルベーダを味わいたくて、シッダーレーパ・アーユルベーダー・スパに行く 。
快適な部屋に座って問診を受けて、服を着替えて、マッサージ室に入る。
シャリラ・アビヤンカ(全身オイルマッサージ)60分、シーロダーラ(額にオイルを少しずつ垂らす)40分、ビンダ・スエタ(ハーブを丸めて蒸したものを患部にあてる)20分。
何とも言えず気持ちいい。満足した。
隣にショップがあって、様々なアーユルベーダ・グッズを売っていたので、石鹸を買った。

 13:00 ホテルに帰ってチェックアウト。
あわただしい滞在だったので気が付かなかったが、鉄パイプの彫刻のあるロビーの奥に、リビングとプールがあって、モダンな空間が広がっていた。

 パラダイス・ロード・ギャラリー・カフェに行って昼食にする。ここはジェフリー・バワのオフィスを改装して造られた欧米スタイルのしゃれたカフェで入口からギャラリーになっている。
今日はいい感じの平面作品が展示してあった。一番奥がオープンエリアのカフェで、白黒でまとまった落ち着いた雰囲気がうれしい。
14:00にバワの旧宅“ナンバー11”の見学予約をいれていたので、すぐに出来るメニューを頼んで、早く早くとせかして、大急ぎで食事を済ませた
(私はアボガドスープとサラダ、ライムジュース)  皆あまりお腹が空いていない。

バワの旧宅“ナンバー11に行く。
玄関からガレージに入るとバワの愛用車、メルセデスとロールスロイスが並んでいた。壁にはエナ・デ・シルヴァ作のバティック。
ナンバー11は1958年からバワが改築に改築を重ねて造り上げた自宅兼事務所で、当たる所にバワ独自の空間が広がる。
シンプルで静寂のただよう空間と煩雑なアジアンティック空間がまとまりよく混在していておもしろい。
ヘリタンス・ガンダラマにあったラキ・セナナヤケ作の梟やピカソの版画が壁にかかっていて、コレクションの立体作品があちこちに置かれている。
2階には宿泊予約のできる部屋があった。狭いけど居心地良さそう。 屋上もこだわりの癒し空間となっていて近隣の木立が気持ちよかった。

バワの旧宅 ナンバー11                      

時間がつまってきたので、お買いものタイムにはいる。

15:40 まずはオリジナルの手織り製品で名高い”ベアフッド“へ。
クッションカバー、ランチョンマット、カラフルな縫いぐるみ、ノート、しおりetc,、オリジナルファブリックの製品が色々あって素敵だった。

次は”パラダイス・ロード“というモダンな雑貨店。大きな店で食器や家具、布、雑貨、ジャムやスパイスまで売っている。ランチを食べたカフェと同系列の店で、カフェで使われてた食器も売っていた。

次は”オデール“という人気のショッピングモール。ここでお土産用の紅茶を皆揃えた。圧縮されたパイナップルのドライフルーツを半信半疑で買ってみたら、これは素晴らしくおいしかった。

17:40 フォートの南、ゴール・ロード沿いの海に面した公園、ゴール・フェイス・グリーンへ行く。
ここは1860年、セイロン総督の発案で造られたらしい。
インド洋に面した公園は散歩道、出店、芝生が整備されていて、スリランカ市民の憩いの場所として親しまれているそうだ。
大勢の若者がたのしそうに遊んでいて、波際の女の子は洋服の裾が濡れるのもおかまいなし 。
男の子は活発に波と追っかけっこしている。皆うれしそうで、かわいい。
食べ物の屋台が等間隔に並び、空には長い尾の凧がいっぱい浮かんでいる。インド洋の波はすさまじい。
やはり日本海の荒波とはスケールがちがう、ひとしきり感慨にふける。

ベアフッドのぬいぐるみ
   
    ゴール・フェイス・グリーン   インド洋の荒波  
   
                             

夕食はシーフードでスリランカ最後の晩餐としよう、ということになる。カニ料理店”ミニストリー・オブ・クラブ“に予約を入れてもらった。
店のあるダッチ・ホスピタルというショッピングモールに行く。
ここは、オランダ統治時代に建てられた病院を改装して近つくられた、クラシカルな雰囲気のモールで赤瓦の屋根と石畳の中庭が印象的だった。 レストランは突き当りにある。
蟹のコース料理を頼んだ。料理が来るまでビールで乾杯。
大きなあさり、頭付きのえび、そして蟹、どれもおいしくて、残った汁もパンにつけて余さず食した。
この蟹はスリランカ・ラグーン・クラブ(はさみガニ)という種類で、スリランカでは蟹を食べる習慣がないのでシンガポールに輸出していたらしい。
最後はカニ炒飯。 蟹の兜をのせてでてきたのには大笑い。

20:00 レストランを出る。頭上にワールドトレードセンターのツインタワーが聳えていた。

そのままバンダーラナーヤカ国際空港へ直行。いよいよスリランカの旅も終わりだ。ガイドのアーリさんは本当にいい人で、親切にしていただき、ありがとうございました。

帰りの飛行機は23:40発 コロンボ航空454便。成田直行便。結構混んでいた。
四人とも最後まで、至って元気で、なによりだった。