2016年3月25日~4月10日 ゴーキョピーク トレッキング
    関空1100発 クアラルンブール1705着  1955発 カトマンズ 2230

去年、計画倒れで行けなかったヒマラヤトレッキング、ネパールの大地震から1年たって復興状態が気掛かりだし、私のトレーニング不足の不安もあるが、
兎に角、イチかバチかでマキと決行することにした。 今回はゴーキョピークにチャレンジである。

家を6:30に出て、関空11:00発のマレーシア航空に乗る。春休みの金曜日とあって空港内はすごい混雑ぶりだった。
7時間のフライトでクラルンブールに到着。マキとはここで落ち合い、カトマンズへと出発した。22:30 カトマンズ到着。 空港内は夜遅くなのに大勢の人でごった返している。

今回はヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーというカトマンズの旅行会社にトレッキングをアレンジジてもらった。

宿泊はおなじみのニルバーナ・ガーデン・ホテル。もう夜中の1時過ぎだ。 疲れはてて、ベッドに倒れこむ。

3月26日(土)    カトマンズ  タメル地区散策・パシュパティナート・ボダナート観光


7:30起床。タメルのパンパニケル・ベーカリーに出かける。モーニングセットを食べて、町をぶらつく。
町は瓦礫のまま放置されている箇所は少なく、店は営業しているが、観光客の数が驚くほど少なくて
以前の喧騒がうそみたいだ。 やはり去年の震災以来客足が戻らないのだろう。

タメル地区をグルグル回って、イタリアン料理店でランチにする。ピッツアとサラダを二人で分け合って食べた。

13:00 HSAのガイドさんとヒンズー教の寺院、パシュパティナートPashupatinathの葬儀場へ行く。
火葬場は3か所ほどで葬儀が行われていて盛大に煙が上がっていた。
現在は隣にある電気式火葬が一般的で、薪による火葬は少数の希望者だけだという。

   


橋の向こうではお偉いさんの火葬が行われていて、川の対岸には見物人が鈴なりになっていた。
どういう人なのか、外国から御棺に遺体を入れて運んできたらしい、それくらいのことしか分からなかった。

リンガのお堂を回り、寺院の横を通って、丘の上までのぼる。境内では地震で崩れた建物がそのまま放置されていた。

15:00 タクシーでチベット仏教の中心地である
ボダナートBoudhanathに行く。

門を入って驚いた。巨大なストウ―パの上部がない!!
地震で壊れて、修理中だった。

地震当時は傾いただけだったけど、徐々に崩れたのだそうだ。
やはりあの大きなお目目に見つめられないと来ても空しい。
しかし、レンガを積み上げて修復するには数年かかるという、大変な作業だ。

ストウーパの回りを巡って寺院に入り、屋上レストランでお茶休憩。相変わらずスモッグがひどいけど、絶景を楽しむ。

        カトマンズ・タメル地区  
 
パシュパティナート寺院   火葬場  
   
ボダナート   修理のレンガ  
18:00 ホテルに戻りまずはお風呂に入る。最高に気持ちよかった。お茶を飲んでたらいきなり停電だ。電気はすぐについたけど自家発電に切り替えたらしく、コンセントが効かない。お湯が沸かせないので、仕方なく水を飲みながらお昼のピッツアの残りを食べて、20:00寝る。もう爆睡!!  

327日(日)   カトマンズ滞在


5:00起床。トレッキングの荷物を作り、6:30ルクラ行きの飛行機に乗るべく出発する。

空は厚い雲に覆われていて飛行機が飛ばない。
空港内は待機中の人々で大混乱の状態。延々と待たされて10:30やっとチェックインにこぎつける。
空が少し明るくなってきた。バスでTaraAirの飛行機前まで移動し、荷物を積み終わるのを待っていたら、いきなりルクラの空港が閉鎖になったという。結局待合室まで引き返す。

12:30になっても変化ない。どうなることやら・・・

16時過ぎ、結局すべてのフライトがキャンセルになった。 さらにルクラが雨でヘリコプターも飛ばないとの事。
ニルバーナガーデンホテルに部屋を取ってくれたのですごすごと帰る。

18:30 中華店でキャベツと豚肉の汁そばを食べる。崩壊家屋跡に天幕を張った仮設店舗だけど安くて美味しかった。
中国人は何時でも何処でもたくましい。。

             カトマンズ国内線ロビー
 

328日(月)   カトマンズ(1330m)⇒ルクラ(2840m)→ パクディン(2610m)

4:00起床。5:30出発。今日のフライトは1番をとってくれた
今日も曇り空だけれど飛行機はスムーズに飛んで、7:00ルクラに到着した。天気が悪いので山の景色がみえなくて残念だったけど文句は言わない。

飛行場でガイドさんとポータさんに会う。ガイドはパサン(PASANG)さん、ポーターはビジェイ(BIJAY)さん、二人ともルクラに住んでいるだそうだ。

ルクラの町を通り抜けると、門の横にマグノリアとしゃくなげが咲いていた。二人で記念撮影をする。
少し行くと桜の花が満開だった。思わず見とれてしまう。やはり桜は美しい。 本当に、ルクラで花見をするとは思わなかった。

もったいない程下り道が続く。街道を荷物を運ぶ山羊やゾッキョ(ヤクと牛の混血)の行列が通る。

10:30ベジスープとフライヌードルで昼食。

雲が切れて一瞬白い峰が目を楽しませてくれた。
しかし間もなく雨が降り出して、レインコートを着る。

パクディンPhakding(2610m)につく頃、雨はあられになり、
ひょうになった。すごく大きい氷の粒が降り注ぐ。
ひょうに打たれて耳が切れることもあるとか、降り止むまで軒下に退避し様子を見ていたが、パッサンの友人がやってるレゲエバーでお茶休憩をした。玉突き台があり大きなボブ・マーリーの写真が飾 ってある。
トタン屋根にあられがはねかえってすごい音がする。

   
    経文石が並ぶGhatの町  
   
桜が満開   荷を運ぶゾッキョの列  

道すがらいたる所にパッサンの親戚、友人がいるのがおもしろい。シェルパ族の団結の強さを思わされた。

町から川上に45分くらい歩いて14:00今日の宿に到着。

17:30まで部屋の中でグダグダしてから食堂に降りて行った。ストーブが暖かくて気持ちいい。

ロッジの奥さんが籠を頭からぶらさげて、食堂内を歩いている。生後3か月の孫を籠にいれて御守しているのだそうだ。シェルパ族は皆こうやって赤ん坊を育てるらしい。

奥さんとパッサンはシェルパ族の言葉でしゃべっている。ネパール人はみんな自分の民族の言葉とネパール語を使い分けていて、民族語はその民族の人にしか分からないそうだ。
多民族の国は予想以上に複雑だ。しかし、みんな友好的に生活しているのが素晴らしい。

夕方になって天気が上がる。18:30 夕食はベジダルバート。 豆がはいっていて美味しかった。

329日(火)    パクディン(2610m)→ ナムチェ(3440m)

6:00起床 7:00朝食 8:00出発。曇っていた空が少しずつ明るくなって、8時過ぎ、タムセルク(6608m)の白い峰がきれいに見えた。
8:30ベンガルBenkarのロッジ前に桜が咲いていて、やはり素通りできず記念撮影をした。

結構な登りが続く。 モンジョMonjoの手前でクンビラの峰が見えた。クンビラはナムチェの北にある神聖な神の山で、誰も登らないのだという。

街道筋はレストランだらけだけど、まだまだ建築中の建物がいっぱいあるのには驚いた。

10:50 ジョーサレJorsale(2740m)で昼食。 ここからナムチェまでは何もない山の中になる。
ジョーサレの吊橋の上ではゾッキョが長い行列をつくり、その後ろにトレッカーの長い行列が続いていて、なかなかの見ものだった。
ドウコシ河の流れに沿って段々道が険しくなってきた。

川を跨いだ大きな吊橋が見えてきた。地震で以前の橋が壊れたらしい。その上の高い処に新しい橋が作られ、2段構えになっている。
高い!!あそこまで登らなくてはならないのかと思うとショックだった。 橋を渡り、少し登ると北側にタボチェピークピーク(6367m)が見えた。

トップ・ダンダという場所まで1時間、急登が続く。ここは1800年代まではチベットとネパールの国境だったそうだ。
林の間からローチェとエヴェレストが眺められて、みんな休憩している。足が重くて上がらない。急登が終わりここから道はダラダラ登りになったが、やっとかっとという感じで歩く。

ナムチェの町が見えてきた時は嬉しかった。町の門と横を流れる聖なる河はきれいに整備されて、洗濯している人が何人もいた。16:00到着。 以前と同じKHUMBU LOOGEに泊まる。

ダルバートを食べるがあまり食欲がない。コーヒー・アメリカーノがすごく美味しくてうれしかった。ホテル全体が暖かくて幸せ気分だ。

 

       
         ゴンパとタムセルク   クンビラ峰   ジョーサレの吊橋  
     
    二重になった大きな吊橋 ナムチェバザールの門    

330日(水)    ナムチェ(3440m) → エヴェレスト・ビュー・ホテル(3880m)

 6:30起床 7:00朝食 8:00出発。
食堂からナムチェの西にそびえるクワンデの峰が朝日に輝いている。でも出発のころには西から雲が湧いてきて何も見えなくなった。 朝食はフルーツ・ポリッジ。

まず、ナムチェ一番の展望台へ行く。テンジンの立派な銅像が建っている。本当はエヴェレストの峰々をバックに感動的な像だと思うのだけど、ガスで何も見えない。
横に建つシェルパ博物館に入る。シェルパ族の伝統、文化、古い美しい曼荼羅、50年間のヒマラヤの変化等々が展示されていて、つつましやかな博物館だけど面白かった。

 9:30、ジョーサレの丘にあるエヴェレストビューホテルに向かう。
450mほどの登りとはいえ急登は辛い。大勢のトレッカーが高度適応エクササイズに登ってくる。元気な皆に先に行ってもらい、フーフー言いながら登る。
ガスが垂れ込めてどんよりした空、景色はなし。

1時間で登り切ってヘリコプターの飛行場を通り過ぎ、なだらかな丘を歩く。
本当に何もない荒地、シャンボチェ・ホテルを回り込むと山の斜面に伸びるエヴェレスト街道が見えた。
 11:30ホテル到着。気恥ずかしくなるような立派な建物だ。

   
  ナムチェを見下ろす                丘の上に到着       エヴェレスト・ビュー・ホテルのレストラン  

ガスで何も見えないけどテラスで紅茶を飲んで部屋に入る。パッサンはジョーサレへ、ビジェイはナムチェへと下っていった。

部屋は広々としたツインの部屋で、トイレには便座カバーがついているのがちょっとうれしかった。部屋は電気ストーブで温めているけど、寒い。
客はどうやら私達だけみたいで、閑散としてホテル全体が冷え切っている。

ランチは広い食堂の窓際に二人でぽつんと座って親子丼セットを食べた。景色が見えなくて本当に残念だったけど・・・
ガーデンテラスでメニューを見たら 親子丼 3000R(約3500円) ですって!

ディナー時にはレストランに薪を焚いてくれた。茶碗蒸し、大根人参椎茸じゃがいもの煮物、きんぴら、メインは牛肉のステーキという豪華な日本食メニューだったけれど、
二人とも食欲がなくて残念。 ほとんど残してしまってコックさんに申し訳なかった。

新しい湯たんぽをまた持ってきてくれたのでシュラフの中に湯たんぽ二つも入れてぬくぬくに温まって寝た。21:00就寝。

331日(木)   エヴェレスト・ビュー・ホテル(3880m) → ポルチェタンガ(3680m)

                          エヴェレストとローチェ                  アマダブラム

朝6時、夜が明ける。曇り空にタボチェピーク・エヴェレスト・ローチェ・アマダブラムと全山がシルエットで見えた。
30分くらいして何も見えなくなったが、少しでもエヴェレストが見えて良かった。

雨が降り出した、と思ったら雪になる。

8:45出発。 雪道をクムジュンKhmujunまで下る。
クンビラ峰の下の盆地にある大きな村だ。
手袋を落としたのに気が付いて雑貨屋でのびのび手袋を買った(150R)。

街道までは平たんな道が続く。途中、孔雀がいた。
インドクジャクというらしく体が小さい。

街道はクンビラ峰の険しい崖を横切ってモン・ラという峠まで続く。
遠くにエヴェレスト街道、遠く遠くにタンボチェが見える。
何もない荒地にゾッキョが三々五々餌を食べている。
行く先に峠の茶店が見えるけど中々着かない。

 この街道で初めて日本人女性のグループに出会った。

 
             
       
       クムジュンの村   モン・ラの茶屋が見える   ドウコシ河の流れ  
11:30 モン・ラMonh-la(3975m)到着。峠には4-5軒の茶店があり、中央に崩れかかった大きなゴンパが鎮座している。
峠だけあって下から吹き上げる風が強い。昼食はマッシュルーム・ヌードルスープ。唐辛子がよく効いている。ミントティーがすごくおいしかった。

12:30 出発する。ここから1時間ほど、急坂を一気に下る。帰りはここを登るのかと思うと何ともいえずいやだった。

険しい崖に沿った道、真下にドウコシ河の急流がくねくねと流れてる。対岸の小さな台地に造られたポルチェの村が見える。 峻厳な景色だ。

13:30 ポルチェタンガPhortse3680m)到着。今日は同宿の客が多い。部屋はレストランの上の二階だが、すごく寒かった。

41日(金)    ポルチェタンガ(3680m) → ドーレ(4084m)

朝起きたら上天気だった。窓の外にタムセルクThamserku(6608m)が白く輝いている。朝食はミントティー、ポリッジ、目玉焼き。

8:40出発。久しぶりの青空に心が弾む。緩やかな登り道だけど、息が切れる。天気が良いので遠方に広がる6000m級の白峰を楽しみながら歩く。

バックにタムシェルク(6608m)と並ぶカンテッガ(6685m)、行く手にタボチェピーク(6367m)、遠くにチョーオユ(8200m)の頭がちらりと覗く。
10:20きれいな滝に出会った。水が豊富で、緑の木々に囲まれ、タルチョがはためいている。穏やかな景色だ。 河の対岸のポルチェ村が小さく遠くなり、さらに川沿いの道を行く。

だんだん森林限界にちかずき、11:30いきなりドーレDole(4084m)に到着した。

山に囲まれた平地に何軒もホテルが建っている。ヤクの飼育場やテント場もある。 昼食にまずいヌードルスープを食べて、部屋に入る。
ガスが下りてきて食堂からの素晴らしい景色も見えなくなる。残念、残念、ビューポイントへの散歩も取りやめにする。上に登るとチョーオユが見えるのだそうだが。


     
                         
     
                         
ダウンパンツをはき、シュラフにレスキューシートを張り、毛布と布団を上に掛けて、寒さ対策万端。 部屋の中で湯を沸かし、緑茶と羊羹、チョコレートバーを食べてくつろぐ。
食堂の中はストーブに火が入り、暖かい。ドイツ人4人、ストーブを囲んでそれぞれに本を読んでいる。

マキは宿の息子と神経衰弱をしている。天才的記憶力を持った小学生だったそうだ。
今日はロシア人16人の客があると云う。彼らはナムチェから歩いてくるそうで、18時頃に到着した。  夕食はハッシュブラウンとガーリックスープ。

42日(土)    ドーレ(4084m)→ マッチェルモ(4410m)

7:30 朝食。チャパティ、ポテトスープ、ゆで卵。食堂に日が差し込み、朝から素晴らしい天気。
窓から村の背後にカムティガの峰が見える。馬の鞍という意味だそうだ。隣はタムセルク。

8:30 出発。ホテルの後ろの丘道を少し登るとドーレの村を前景にタボチェピークが白く輝いてとても美しかった。
カムティガをバックに二人で記念撮影。タルチョがはためく丘の上で大勢のトレッカーと共に休憩して、また記念撮影。

森林限界に達して樹木がなくなり、背の低い喬木の生い茂るガラガラ道になる。
パッサンがスンパティという線香の原料になる小さな喬木を教えてくれた。いい香りがする。

  ドーレノロッジとカムティガ峰

10:00 Lhabarma(4330m)を通り過ぎる。小さなロッジが一軒あり、ヤクの飼育場が広がっている。 平たんな道をドウコシ河に沿って歩く。
周辺にはヤクが放牧されている。ヤクは足が短く、長い毛に覆われた姿が可愛い。 対岸の崖にエベレスト街道への道が細く長く続いている。

2:00 Luza(4360m)到着。ヤクの子供が何匹も飼われていて何とも愛くるしい。お茶休憩。 ここから30分ほどでマッチェルモだ。 だんだんガスが出てきた。

タルチョに飾られた小さなゴンパのある丘を下って、マッチェルモMachhermo(4410m)到着、13:15.。


 
  ドーレの村とタボチェピーク カムティガ峰  
 
 

ヤクの夏の飼育場

ドウコシ河に沿って続く街道  
   
  ヤクの子供   マッチェルモの村    

ロッジの中はビックリするほど暖かい。屋根から温めているのか、庭にソーラー発電機が2機も設置さてれいる。
部屋の中もホッカホッカで、思わず気持ちよく眠ってしまった。

18:30食堂に行く。ポテトフライがおいしかった。ハッサンはソバガキを食べている。

午後からの歩きがつらかったので、ここから下ろうか、ゴーキョまで行こうか、さんざん迷ったが、あと一日だ、やっぱり頑張って登らざるを得ない、、、と心を決めた。

 

43日(日)    マッチェルモ(4410m) → ゴーキョ(4750m)

7:00朝食。ポリッジに粉末八丁味噌を振りかけて食べてみる。格好いける。 朝起きたときはガスで何も見えなかったが次第に晴れていい天気になった。

8:00出発。嘴と足がオレンジ色のカラフルなアヒルが居た。白と茶の毛並みが美しい。この鳥はインド洋まで行って子供を育てるのだそうだ。
樹木の生えない荒れ地を延々と歩く。ヤクが三々五々のどかに気ままに食事中。眼下にはドウコシ河が細くくねくねと流れている。

9:00 パンガPhang(4480m)で休憩。まだまだガラガラ道が続く。登りが辛い。
10:40 小さな鉄の橋を渡って、第一の湖に出る。険しい岩山に囲まれた小さな水たまりみたいな湖だった。湖畔の石がやたらと石積みされている。
11:30 第二の湖に出る。水がすっかり凍っている。雪のへばりついた岩山に囲まれた湖は神秘的に美しい。
ゆっくり歩きながら、そう、この景色が見たくて来たんだった、と一人納得する。
第三の湖に到着。ここの水も半分凍っていて、氷と水との境目がきれいだ。ゴーキョのロッジはこの湖畔に建っている。

村の門を入り、タルチョはためくゴンパを通り、13:00ロッジに落ち着く。
   
  パンガPhang(4480m)       第一の湖  
   
  第二の湖  
  第三の湖 ゴーキョの村  

いい天気だ、マキはパッサンと一緒にゴーキョピークの丘へ散歩に出かけた。
150mほど登って帰ってきたらしいが、氷河まで見えたそうだ。美しい写真を見せてもらった。
私はあまり調子が良くない。ダイアモクスを半錠飲んで休む。

44日(月)    ゴーキョ(4750m)→ ゴーキョピーク(5360m)→ ドーレ(4084m)

     
ゴーキョ・ピークからの景観(マキの写真)

朝から天気がよくて、ラッキー!   マキは4:30起床でパッサンとゴーキョピークへ登りに行った。
ここから700mも登らなくてはならないとあって、残念ながら、私は遠慮した。 

7:00食堂でポリッジを食べて、8:00ポーターのビジェイさんと出発する。

青空に雪の残る岩山と青く澄んだ湖が映えて本当に美しい。岸辺にあひるがいた。ゴロゴロ道を思いっきりゆっくり、名残を惜しんで歩く。
9:30 湖から流れる川にかかった橋を渡る。

10:30 パンガを通り過ぎて、11:30 マッチェルモ到着。先日泊まったロッジでお茶を飲む。
ジンジャーティーが殊の外おいしくてくつろいでいたら、30分程して、マキたちが到着した。ずいぶん急いで歩いてきたみたいだ。

ガスが出てきてなにも見えなくなる。濃いガスに包まれて歩く。ポルチェタンガまで下ろうとマキは云うけどとても無理。

15:00 ドーレ到着。この間泊まったロッジの隣にある新しいロッジに泊まった。客は私達だけだけれど、元気なおばちゃんが盛大にストーブをたいてくれる。
パッサンもこのロッジに泊まったのは初めてらしいが、何とここのオーナーも親戚だったそうだ。


   
    ロッジから眺める湖 カラフルなあひる 村の入り口のゴンパ  
   
 

   第一の湖

  湖から流れる小川にかかる橋 ドーレはもう近い  

45日(火)    ドーレ(4084m)→ ナムチェ(3440m)

今日も朝からいい天気。
真正面にタボチェピークが白く輝いている。

6:30朝食。7:30出発。ポルチェタンガまではのんびりした下り道。タボチェピーク(6367m)が美しい。

8:00 タルチョが張り巡らされた滝を通過する 。
9:00 ポルチェタンガでお茶休憩。ジンジャーティーを飲む。

対岸のポルチェの村とその後ろに聳えるアマダブラム(6856m)の峻峰が見えてきて、モンラまでいよいよ300mの登りにかかる。
足の具合が良くない、予想以上に大変だった。

11:10モンラ到着 。
風が強いので食堂内に退避して、フライヌードルを食べる。
パッサンはここでレスキューヘリを頼んでもいいよ、と云う。
でも今日はナムチェまで行こう。 最後の頑張りだ。

12:30出発。山腹の下り路を行く。
下にキャンズマのロッジが見えてきて、なつかしかった。

ジョーサレとの分岐を通過して13:40エヴェレスト街道と合流した。さすが世界に名だたる街道、広々とした歩きやすい道だ。
しかし私の足は限界に達している感じ。

山腹に沿ってくねくねとのびる道は果てしなく、
要所要所にあるゴンパもありがたくなく、
ひたすら耐えて、ついにナムチェ・ビューポイントの丘が見えた時は本当にうれしかった。

15:30 クンブ・ロッジ到着。まずは食堂でコーヒーを飲む。
部屋はトイレ付きの広々としたスペシャルルームだった。
胃が痛くて夕食抜き。
散歩から帰ってきたマキは、石畳で膝をひねったそうだ。
すごく痛そう。大変。

明日、レスキューヘリでカトマンズに帰ることにする。

ドーレ村の後ろに聳えるカムティガとタムセルク  
 
タボチェピーク(6367m)   対岸のポルチェの村とアマダブラム(6856m)  
 
モンラのゴンパ   モンラからの道  
               

46日(水)    ナムチェ(3440m) ⇒ カトマンズ(1330m)  Swacon International Hosupital

朝からいい天気。マキは痛い足を引きずってパッサンとビューポイントへ出かけた。

6:30一人で朝食を食べる。トースト、ミネストローネ、コーヒー。久しぶりに美味しい朝食だった。
食堂は明るく、窓から白峰が朝日に輝いて、気持ちいい。

すぐにヘリポートのある丘へ出かける。ヘリコプターは既に到着していた。

ルクラでビジェイさんを降して、そのままカトマンズまで行く。8:15 カトマンズ空港に到着。
救急車が待機していて、病院(Swacon International Hosupital)へ急行する。
一日入院が必要だとの事だった。採血、血圧測定、レントゲン検査をして2Fの病室へ移動する。
 

 

病室はトイレ、シャワー、エアコンつき個室でデラックスホテル並みの快適さだ。
食事は近くの日本レストランに出前を頼むらしく、日本語メニューが用意されていて、昼食はすきやき丼定食、夕食は焼きそばを食べる。
すっかり元気が出てきて、何日かぶりのシャワーを浴びて、着替えをして、下着の洗濯をする。

マキがややこしい保険の書類作成と手続きをすべてしてくれた。感謝、感謝である。

47日(木)    カトマンズ滞在   アーユルベーダ・ヘルスホーム

保険会社と病院のコンタクトに時間がかかり、12時過ぎ、やっと書類が揃い、手続きが終わった。

ニルバーナガーデンホテルに再度チェックインして、緑豊かな庭でくつろぎ、軽くランチにする。

15:00 アーユルベーダ・ヘルスホームへタクシーで行く。
頭のマッサージに始まり、全身のオイルマッサージ、額にオイルをたらすシーロダーラのフルコース、
半分居眠りしながら気持ち良いこと限りなし。

夕食はHSAのオーナーがアレンジしてくれた
息子連れのパッサンも一緒にタメルのホテルのガーデンレストランでチキンカレーを食べる。とてもおいしい店だった。

 

48日(金)    カトマンズ滞在    パタン観光


涼しいホテルのガーデンで朝食を食べて、9:00タクシーでパタンに行く。

パタンはカトマンズ盆地でも最も古い都市で、3世紀にアショカ王によって造られたといわれる。
16世紀からマッラ王朝の首都として栄えたパタンは
ネワール文化最盛期の建造物が数多く残されている古都として名高い。

特にダルバール広場には17~18世紀マッラ王朝の旧王宮、寺院が軒を接して立ち並び、世界遺産になっている。

ダルバール広場横でタクシーを降りて、入場料(500R)を払い、まずは店舗の屋上へ上って全体像を眺める。
右手は旧王宮、左手にはところ狭しと寺院が並んでいる。
下の店舗の中に眼鏡屋を見つけて、老眼鏡を買った。
行きの飛行機の中に眼鏡を忘れてしまい不自由していたので本当に助かった。

  パタン・ダルバール広場
     
  クリシュナ寺院 旧王朝の外壁 スンダリ・チョークの門 インド式クリシュナ寺院    
   
  ハリ・シャンカール寺院   ヴィシュワナート寺院 パタン博物館  
 

一番手前のクリシュナ寺院に行く。
ヒンズー教の神クリシュナを祀ったこの寺院は、17世紀のシディナラシン王の時代に建てられた石造建築の傑作、
といわれている。八角形の特異な形だ。

旧王宮は14世紀から300年にわたって造られ、最盛期には12のチョーク(中庭を囲む建物)があったそうだが、
現在は3つのチョークが残っている。最も新しいマニ・ケシャブ・ナラヤンチョークはパタン博物館として公開されている。

大きく張り出した切妻屋根は神々の彫られた長い柱で支えられ、赤レンガを張った長い壁には美しい木彫の窓がいくつも並んでいる。ともにネワール彫刻の精巧な美しさに感じ入る。
17世紀に建造されたスンダリ・チョークの門の前には、ハヌマーン(猿の神様)、ガネーシュ、ヴィシュヌの化身であるナルシンガ(ライオン)の像が据えられている。

  パタンの町角  
 

左側の寺院をハリ・シャンカール寺院、ジャガナラヤン寺院、インド式クリシュナ寺院、ヴィシュワナート寺院、と観ていく。
ハリ・シャンカール寺院は去年の地震による半崩壊状態が痛々しい。ジャガナラヤン寺院は完全崩壊してしまったらしい。

インド式クリシュナ寺院の前に据えられたライオンの石像は迫力があり、記念写真を撮った。
隣のヴィシュワナート寺院も随分ダメージを受けているが木彫の装飾が素晴らしかった。

ダルバール広場を一周して、パタン博物館に入る。レンガ造りの3階建て建物は、柱、入り口、窓のすべてが木彫で装飾され、格調高く、美しい。
ヒンズーの神々、仏像、細密画などの展示を堪能した。 庭の喫茶店でジンジャーティーを飲んで休憩する。

少し町を歩く。  待たせていたタクシーと12:30の約束をしていたので、残念ながらゴールデンテンプルまで行く時間がなかった。
木彫りの店で龍の木彫りを見つけた。細かい良い彫りで気に入った。

14:30 ホテルへ帰る。
一時間ほど休んでから食事に出かける。この間の中華料理店で牛肉麺と野菜炒めを食べて店をぶらついた。

本当にタメル地区のどこに行っても人通りの少ないのには驚く。

49日(土)   カトマンズ出発 2355 ⇒ クアラルンブール着 6254/10

410日(日)  クアラルンブール着625CONCORDE INN KLIA)出発2345 ⇒ 関空着 7:15  (4/11)

長いようで短かったネパール旅行もこれで終わり。来れて良かったなあと、感慨ひとしおである。
夜中にカトマンズを出発する。マキは香港経由で成田まで行くのでカトマンズの飛行場で別れた。

クアラルンブールのホテルに一日滞在してからまた夜中に関空行きの飛行機に乗り込む。

とどこおりなく、4/11(月)7:15 関空到着。周囲では桜の花が残り咲きしている。すっかり春だ。日本は美しい、と心から思う。